生きてたいやつより死にたいやつのほうが理解できる
昔から、私は生存意欲が低い。
人生が何のためにあるのか、いまだによくわからないし、長生きしたいがために健康に対して必要以上に気を遣っている人があまり理解できない。
死をぞんざいに扱うことを嫌う人がいるけれど、そんな人は大抵の場合、生きることが素晴らしいからという理由からではなく、死を遠ざけようとしているだけの人種であることがほとんどだ。
死は敗北ではない。どちらかと言うと完成に近い。ずっと生き続けるということは、永久に未完成ということである。人はどこかで死ぬことで長い闘いを終わらせることができる。
とはいえ、私は自殺に対しては反対の立場をとっている。その理由は、人生はそれほど長くないからだ。
10代の頃は永遠にも感じるほど長かった人生も、30代後半になり、自ら命を絶たなくても人生などすぐ終わることに気づく。
自殺をするのは生物のなかで人間くらいだが、これは人間が唯一理性を持ってしまった生物であるが故に、生きることに意味がないと気付いてしまったからではないかと私は思っている。
すなわち、自殺をする人は、通常の人より理性が高い人のほうが多いのではないかと私は予測している。
私は生きてたいやつより死にたいやつのほうが理解できるから、死にたいやつがみんな自殺してしまったら寂しい。理解できるやつがいなくなるからだ。
このブログのタイトルをみて、この文章をみてくれたやつはきっとペシミストかニヒリストで、私とは気が合うやつらだとおもう。
だから、生きていてくれよ。
私も生きてるから。
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