ショートショート(39話目)父との会話

『……む。...…さむ。...……おさむ』

誰かに呼ばれる声がして目を覚ました。
隣には父がいた。

『起きたか。修。どうだ、体調は?』

昨晩、体調が急に悪くなり、20時に床についた。
時計は4時を指していた。

「少し落ち着いたけど、あまりよくないよ」

『そうか。起こしてしまって悪かったな』

窓の外で雪が降っていた。
石油が切れたストーブに赤いランプが点いている。

「父さんと話をするの、久しぶりだね」

『そうだな。いつぶりだろうな』

「そういえば父さん。僕が高校3年の時、ミュージシャンになりたいっていったの覚えてる?」

『ああ。覚えてるよ』

「あのとき、父さん、なにも反対せずにギターを買ってきてくれたよね」

『そんなこともあったな』

「ちゃんと勉強して、大学に進学してほしいっていう気持ちはなかったの?」

『それはあったさ。だけど、あのときミュージシャンを目指したからこそ分かったこともあっただろう?』

18歳の時、ビートルズに熱狂していた僕はプロのミュージシャンになることを志した。5年ほど音楽活動をしていたが、結局諦めた。


「ああ、確かに。僕には音楽の才能がないことがよく分かった」

『人は経験からしか学ばないからな』

23歳で音楽と決別した僕は、会社勤めをはじめた。
学歴も資格もなかったため、1番最初に勤めた会社は零細企業だった。

それでも、大学に進学しておけばよかったと思うことは一度もなかった。
18歳のとき、ミュージシャンになりたいと願ったあのときの想いは止められなかったし、もしも夢をあきらめて大学に進学していたら、きっとそのほうが後悔したことだろう。


「なあ、父さん。天才っているんだな」

『ああ。いるな』

「この世界って、不平等だよな」

『そうだな。確かに不平等だ』

「父さんって、確かキリスト教だったよね」

『ああ。そうだ』

「神はどうして、こんな不平等な世界を作ったんだろうね?」

『たぶん、神自身がそれほど善な存在ではないからだろう』


部屋の薄明りに照らされた父の顔をみた。
ずいぶん顔のしわが増えたなと思った。
父さんは、いま何歳なんだったっけ。


「そういえば、父さんはお酒も飲まないし、煙草も吸わないよね。仕事をしていたときも、毎日19時に帰ってきたし、帰宅してからも、風呂に入って、ご飯をたべて、寝るだけだった」

『ああ。そうだったな』

「そんな人生で、楽しかった?」

『楽しいこともあったさ。だが、修のいう通り、多くの日はつまらなかった』

「楽しいことって、たとえばどんなことがあった?」

『そうだな。ずっと内緒にしていたが、修がミュージシャンをやっていたとき、こっそりライブを観に行ったことがある。あのときは楽しかったよ』


人間が80年生きるとして、そのなかではっきりと思い出せる日は何日あるのだろう。

「生きるって、無駄なことなのかもしれないね」

『ああ。そうだな。そうかもしれない』


時折吹く風が窓を叩いていた。
漆黒の闇が、いまにも室内に入ってきそうだった。


『それでも、私は自分の人生を愛していた』

父が呟いた。
穏やかな顔で、父は続けた。

『人生のなかで、沢山の出会いと別れがあった。
その中には、いい奴もいれば、気に入らないやつもいた。
ほとんどがつまらない毎日だったけど、それなりに楽しいこともあった。

人間は生まれてきて、やがて必ず死ぬ。
だから、生きることには意味がないと結論を出すことにも納得はできる。
だけど、修が生まれて、こうして出会えたことに意味はあったと、私は思う』

「父さんは、会社員より教育者になっていた方が良かったかもしれないね」

『なぜそう思うんだ?』

「僕の息子、海人が15歳の時、プロ野球選手になりたいって言ったことがある。それで、高校は野球の強豪校に行きたいと言い出して…」

『それで、修はなんと言ったんだ?』

「おまえは進学校にいって、ちゃんと勉強しろって、反対したんだ。結局海人は進学校にいって、大学を卒業して、いまは企業で働いているけど、もう何年も話をしていない。最後に会って海人と話をしたとき、なんであのとき夢を応援してくれなかったんだって、怒られたんだ」

『そうか。そんなことがあったのか』

「うん。海人がプロ野球選手になれる才能があるとは思えなかったし、仮になれたとしても、多くのプロ野球選手は20代で引退する。それから先の人生なんて悲惨なものだと思って、僕は反対したんだ」

『そうか。その決断に、修は後悔しているか?』

「ああ、しているよ。いまだに、あの日のことをよく思い出すんだ。あのとき、海人の夢を応援していたら、少し違う未来があったんじゃないかって思うことがあるんだ」

『そうか』

「だから、僕がミュージシャンになりたいって言ったとき、何の反対もしなかった父さんを尊敬してるんだ。父さんは、間違いなく教育者としての才能があるよ」


30年ほど前、僕は妻と離婚をした。
海人が就職に伴い上京してから、僕と妻の関係は次第に悪くなっていった。
とっくの昔に僕は妻を愛する気持ちを失っていたし、おそらくむこうもそうだったのだろう。

離婚後、一人で何十年も過ごした。
そして、2年ほどまえに自分が癌に侵されていることが分かった。
奇しくも、父が亡くなった病気である胃がんだった。

死んだ父が現れたということは、僕の死期が近いからだろう。


「なあ、父さん。人は死ぬとどうなるんだい」

『人は死をもって完成する。それだけだ』

「完成?」

『そうだ。すべての人は完成にむけて、人生を生きている』

「僕は、完成したのかな?」

『ああ。完成は近い』

「もっと、綺麗な完成形がよかったな」

『不完全な完成形こそ、美しく見えるものさ』

「ありがとう。父さん」


次の瞬間、父の幻は消えた。
窓からは光が差し込んでいた。


僕は静かに瞼を閉じた。








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