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プラスのジャッジもしない『真ん中』の自分

僕は『目覚めた』という言葉がどうにも受け入れ難い。


世界の裏側を知ったり、何かしらの能力が扱えるようになったのを目覚めたというのかもしれないし、そうした事で高次元の存在に近づけたという意味合い、または高次元の存在そのものに対してリスペクト的な意味合いで使われているのかなと思うんですが、


ハッキリ言って僕は失礼だと思う。


高次元の存在も、最初は我々と何ら変わらない存在で、長い年月を現実と自分自身に向き合うという事をされてきた結果、弛まない努力と、ちゃんとそれを次の世代に継承して託すという事をされて来たが故の、今の状態だと思う。


であるならば、『高次元』という存在そのものではなく、彼らのそこに至るまでの『努力』にこそ最大限のリスペクトを払うべきだと思うのです。


様々な努力をし、困難を乗り越えてきた今を『目覚めた』という簡単な言葉で済ませてしまうのは違う気がするし、自分だったらどうでしょうか❓


もちろん、最初からとんでもない存在はいますが、そこまで来ると、もはや世界そのもの、事象そのものみたいな存在だし、簡単につながる事や干渉することもできません。


また、いわゆるDSといった存在たちは、ちゃんと自分たちの仕組を次の世代に継承して託すことを徹底していますよね❓それ故に繁栄しているのです。


色々声を上げたり発信したりしてる人は沢山いますが、彼らほど何かを次の世代に継承させる為に頑張ってますかね❓


ちゃんとそこに意識が向いてるなら、支配者層を批判している暇なんか無いはずです。そんな暇があるなら、次の世代がよりよくなれる事を考え、生み出し、託すという事に全力を注いでいかないと、全てが手遅れになってしまう。

そういう点では支配者層にも参考にし、リスペクトを払う部分はある。

全てが悪やネガティブでそれ以外ないなんて事はこの世界にはありません。それはただの偏見で見て見ぬふりをし、自己肯定感の欠如からプラスのギフトを探す余裕が無くなっているだけです。

ちゃんと自分を整えて、高次元を見上げすぎるジャッジをせず、支配者層を目の敵にするようなジャッジもせず、裏側にあるギフトを探して自分の人生に集中していきましょう✨✨✨

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