人を見る時どこを見るかとか
最近、人の見方について考えることが多い。
多くの人は「今の状態」にこだわるが、私は「その人が向かいたい方向」の方が大切だと思う。
たとえば、ある人を見たとき、世間はこう言う。
「あいつは職がない」
「今の収入じゃ先が見えない」
「才能がないんじゃないか」
まるで一枚の写真を見て、その人の人生すべてを判断するようなものだ。
しかし人生は写真ではなく、映画のようなものではないだろうか。
現在の状況は、その人の物語の中のたった一コマに過ぎない。
もちろん、現在地を知ることは大切だ。目的地までの距離を測るためには、今どこにいるのかを知る必要がある。
でも、それは出発点を確認するためであって、限界線を引くためではない。
ここで少しふざけた例え話を入れてみよう
GPSだって、目的地に着くまでずっと「現在地」を教えてくれる。
でも「お前、まだそんなところにいるのか」なんて文句は言わない。黙々と次の交差点を案内してくれるだけだ。
人生だって、そんな感じでいいんじゃないだろうか。
ところが面白いもので、他人を現状で決めつける人ほど、自分が同じ状況に陥ったときに自分を責めてしまうものだ。
「こんな状況の自分はダメな人間だ」
そう思い込んで、可能性の扉を自分で閉ざしてしまう。
人は誰でも、物語の途中にいる。 今日の脇役が、明日は主人公になるかもしれない。
今の状態は、その人の「これまで」を物語るかもしれないが、「これから」を決定づけるものではない。
だから私は、その人の「現在地」よりも「行きたい場所」の方を知りたいと思う。
なぜなら、それこそがその人の本当の物語なのだから。
この考え方は、実は極めて実践的な生き方なのかもしれない。現状を見つめながらも、そこに留まらない可能性を常に見出そうとするからだ。
人を見る目が少し優しくなる。
そして、その優しさは必ず、自分自身にも返ってくる