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四国大学を選んでずっと徳島に居続ける理由

四国大学を選んだ理由

2度目の投稿になります!!

よく色んな人に聞かれる質問でまだちゃんとは答えたことがなかったので、四国大学で4年間競技をしたのでそろそろちゃんと選んだ理由を書こうと思います。

さっそくですが読んでみてください!

自分がした選択

私はつるぎ高校という高校に居ました。
まあ、まずそこに入ったのも周りからしたら意外な道だっただろうなと思います。

始めにつるぎ高校を選んだ理由から・・・

前回の自己紹介の投稿を読んでくれた方々は知っていると思いますが、小学校4年生の冬から陸上をしています。あ、そういえばついに13年目に突入しました👏
小学校6年生の時から現在まで毎年全国大会には出ていました。
中学3年生の全中で10番が私のその時の最高成績でした。まあパッとしない選手でした。

でも、この時点で私はつるぎ高校で顧問をしていた先生に見てもらいたいとずっと思っていました。
その先生はずっと徳島の違う高校で陸上を見ていましたが私が中学3年に上がる年につるぎ高校に移動になりました。
移動するとは知らず私はずっと元々先生がいた高校を志望していました。で、まあ移動になってしまい、どうしようと。あたふたしていました。なんてったって、つるぎ高校は長距離が有名で短距離は部員にいませんでした。

先生がつるぎ高校に行った年に短距離を作って次の年から短距離跳躍1期生としてスタートさせる。という話を聞き、それならどこにあるかもわからないけど、先生に見てもらいたいからそこに通って強くなる。と決めてつるぎ高校に進学しました。
まあこれも話をしにきてくれた先生が「日本一にさせてやる」というてくれた言葉にひょこっとついていってほんとにやってやろうと思って進学して競技をしていました。

高校進学後も3年間インターハイに出させてもらって、最後のインターハイでは入賞させてもらって、3年の国体で2位入賞して、「日本一になる」って目標は叶えられなかったけど、「先生が見てきた選手の中で絶対に1番最高の成績を残してやる」って気持ちもあったのでそれはできたので満足はしました。

この3年間結果見たら「いいやん!」って思う人もいると思いますが、怒涛の3年間でした。笑
ほんとにたくさん先生に迷惑かけ、振り回し、言い合いをして、とても大変な選手だっただろうと思います💦申し訳ないなあと今でも思います。

とまあ、いろいろなことがあった3年間ですが、そろそろなんで四国大学を選んだのかを書き出していきますね笑

四国大学を選んだ理由

先に話した通りとても濃い3年をつるぎ高校で過ごしました。
進学のことなんか全く考えていませんでした、

とにかく陸上漬けの毎日で、必死に競技をしていました。気が付いたらインターハイ。周りのクラスの子たちは履歴書書いたり進学する子たちは面接の練習とか始めたり、色々している中1人何も手につけていませんでした。「やばぁ」とは思ってたんですけどね笑

インターハイ終わって先生に呼ばれて、進路どうする?と言われました。
「何にも考えてません笑」ってはっきり言いました本当のことなので
で、国体までに考えといてと言われ、その時私に声をかけてくださっていた大学をバーっと言われて「よろしく!」って感じで終わらされました
当然アワアワと私はしていました。よろしくってなんや?と
そこから調べるだけ調べて、でも調べるだけじゃわからないからオープンキャンパスとか行こうかなとか思ってた時に、四国大学の監督から直接お話をいただきました。

今ではものすごく尊敬してる人ですが当時は監督のこと競技場で見るぐらいで話したこともありませんでした。

たくさんお話を聞いて、でも、話を聞く前から行こうとは思っていましたが若干ひっかかっている部分もありました。

前の投稿でも書いた通り、「徳島県で強くなりたい」という気持ちがとんでもなく大きいので県外に出るという選択肢は初めから自分の中になかったんだろうなと思います。
どうしてそんなに徳島にこだわるのか不思議に思われます。
「徳島って強い選手いないよね。」とか言われたくないんです。
こんな田舎の徳島でも強くなれるよ」ってことをたくさんの人に証明したいんです。証明するためには徳島生まれの徳島育ちの自分が強くなって証明するのが一番だと思ってるから、私はずっと徳島県に残り続けるんです。
とまあこの気持ちが強いから徳島の大学に行くことは始めから決めていました。

ただひっかかっている部分もあるってことをさっきも書きました。
何が原因かというと、「跳躍の指導者がいない」ということでした。
ずっと高校3年間跳躍専門の先生に見てもらっていて、もっと強くなりたいから大学でも続ける。ってなった時に跳躍の指導者がいないっていうのが不安でそこにひっかかってました。
でも、未知の世界に飛び込むことが大好きな自分にとっては最高の機会かもしれないとも思いました!変わってますよね笑
徳島で強くなって「こんな選手いるんや!」って思わせたいって気持ちがあるから、「跳躍の指導者おらんのに強くなったん?!」って思わせれたらもっと面白いやんっていう方向に考えが入ったことによって、「そこに飛び込んで成功すればなんかしらのメリットは間違いなくある」と確信をして行くことを決めました。
専門の指導者がおらんから伸びてない」とか関係なく「自分でどうにかすれば強くなる」ってことを証明したかったんです。


今大学の監督とずっと一緒に練習をしていますが、専門的なアドバイスというよりも、違う種目の人が見てもわかるような客観的な意見を大事に修正していこうというやり方で練習をしています。

四国大学を選んで実際に強くなって今まで以上の成績を残せたことによってたくさんの人に何か伝えることができたのではないかなと自分では思っています。あまり分かりませんが笑
四国大学ってどこやっけ。あ、木村さんがおるところか!」っと言ってもらえるようになるまで私はこの大学で頑張り続けます。

それ以外にも、「四国大学=投擲」というイメージを少しでも「四国大学=跳躍」というものにできるように頑張っていきたいと思っています!
跳躍の指導者がいない中でも「日本一」になれるようにこれからも死ぬ気で頑張ります!

そして高校の時同様「教え子の中で1番の成績を残してやる」という気持ちで監督と日々戦いながらやっていきます!ちなみに四国大学の監督って円盤投の人ですよ


これからも徳島で強くなるということ
専門の指導者がいないから強くならないと思ってしまっている人たちに勇気づけられるような選手になる
日本一になる
ということにこだわり続けて競技をしていきます!!

私は四国大学を選んで正解でした!
たくさんいろいろなことがありましたが、四国大学で強くなることができてよかったです!

ここまで話したことで薄々気が付いている人もいると思いますが、
これからも私は徳島でこの大学で競技を続けていきます!

ここまで読んでくださりありがとうございました!!
たくさんの人に希望や何かプラスになることを伝えられたらいいなと思っています!


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