友人の結婚式へ。 前まで自分の結婚式したらとか色々考えてたら少しこそばゆい感じするなって思ってた。 でも、ある人に言われた言葉があった。 結婚式は自分にまつわる人が一気に集まる機会。 って言われてなんか刺さった。 大体自分のためにフィジカルで集まってもらえるときって 自分が生まれた時、結婚式、あとはお葬式くらい。 記憶に留まる機会って結婚式 そう考えると自分の関係者のみんなにちゃんと面と向かって話せる最初で最後の機会かもって思う。 そう思うとやりたいなって思え
冬の今日のみたいな日。 空が遠くて雲が無くて、 息を吸い込むと鼻が少し痛いくらいの冷たい空気。 外は寒いけど部屋に入り込む日向は暑いくらい。 小学校のあの時の切ない気持ちを思い出す。 切ない気持ちのまま冬休みになるのかと思いながら通学路を下向きながら歩いた記憶がなんとなく纏わりついたままこびりついて取れない。
「子供っぽい子供は大人っぽい大人になり、 大人っぽい子供は子供っぽい大人になる」 一言一句忘れたけどこんな文章を見つけてしまって、 何かが消沈してしまった。 なんだこの文章、めちゃくちゃあってる気がする、悔しいけど。 もうどうしようもできない文章だなこれ。 大人しく認めるけど、抗うぞ
ポートフォリオ作成中。 まずは自分の作品をまとめていこうと。 あのとき、そのときどんな想いで作っていたか思い出していたらやっぱり自分でもっと考えて形が作りたいと思えた。 ちょっとずついい文章が書けてきて嬉しいので載せる。 学部4年の橋の補修計画課題の言語化。 三鷹の日常の風景に、ふと虹が現れる。 そんな景色を目指した橋の補修計画である。 老朽化が進み、まもなく取り壊される予定のこの橋は、周辺の人々に長い間親しまれてきた。 橋を渡るたびに見える風景、そこを行き交う人々の
学生のときにお世話になった方と食事へ 主に仕事の話をして盛り上がったわけだが、それがかなりのモチベーションにつながりつつある。 丁度今の仕事場でも一気に5物件ほど案件が降り注ぎどう捌いていくか楽しみであるところでもあった。 運勢は割と上向き。 ここからより具体的なスケジュールとタイミングを作り出して突っ走れるように目標立てをしていこうと思う。
自分にとって魅力のある人は、その人が自分に及ぶ効果によって自分が成長したできるかどうかの基準が一つあるように感じた。 なんか自己的すぎて字面がエグいことになってるけど。 その辺は自分の中では完結してるんだけど、その考えを人にそのまま話すとエグい字面になる。 だから少し伝えられるように言語化してみようと思う。
ヌルッと1週間が始まる。 今週はちょっと次のステップになりそうな予定を入れている。 ちょっとわくわく。どきどき。 環境を変えようとする時の身震いする感じ。 家に漂うチョコレートの匂い。 その運命を左右すると言っても過言ではないミーティングも明日ある。 今週は成るように成る週になりそう。
「してあげる」が多いのかも。 誰に対してもしてあげるが多いとある記事を読んでそう思った。 相手より一枚上手に。という精神が無意識のうちに働いてしまう。 自分が優位に立ちたいのもあると思う。 優位に立てないとわかった瞬間に少し苦手になるのかも。 自分はできない、完璧じゃないってもっと言い聞かせよっと。
自分の悪いところを探していると、人の悪いところも探してしまう。 自分はここ悪いけど、あなたもここ悪いからな?って。 幸せな感情ではないなこれ。 もう少し楽観的にいたいね。 冬の曇りは何か焦りを感じさせる。 年を超えてしまいそうな雲行き。 鼻を通る冷たい空気。そのままため息として吐いてしまう。 この焦燥感は何だろう。何か新しいことが起きないかな。 そんなことを思う冬の土日。
多分私は完璧な人になりたい。 ありとあらゆる人からよく見られたい、良い人でいたいと思っているのだと思う。 良い人でいないといけないという縛りが自分にまとわりついている。素直でもない。 そもそも完璧な人になれるのか?なれるとして何かを改善すればそうなれるのか? はたまた完璧な人にはなれないと割り切って悪いところを自覚して生きていくことに舵を切った方がいいのではないだろうか。 多分後者の方がいい。 完璧な人間なんていないしなれない。 ネガティヴかもしれないけどやっぱ
そういえば昨日の夜、家の玄関の前にに猫がいた。 その子には何回か会ったことがある。家の近辺で 目も何回も合っている。顔見知りではある。 見つめるとこちらを見つめ返してくる。目で追ってくる。 気があるの? 一緒にいたいの?警戒してるの? 結局家に入ろうとするとその場を離れる。猫は振り返りながら。 猫に代わって誰かが来てるのかな。何かの通告? 何かを隠喩してるみたいで深く考えてしまいそう。 もう少し文章上手くなりたいな
なんだか今日は久々に頭を動かした気がする。 最近は脳をしっかり使わずに1日を終えてしまうことが多かった。 やっぱり人と話しながらあれこれ考えるのが楽しいね。 あとどうしても自分は人と会いたいらしい。 とはいえ1人の時間が欲しいとか言ってるけど、それは人といることが基本的に自分のルーティーンであって。 さすがに1人の時間多過ぎて人といたい時期かも。 夕暮れになるにつれて悲哀の感情が高まるのは何だろう。 業後も土日も人との予定がないとかなり不安な気持ちに駆られる。
木に引っかかる風船を見ると何故か悲しくなる その情景に至るまでの経過を何故か想像してしまう 色鮮やかな風船に目を輝かせ親に強請り、 なんとかして手に取ることができた風船。 気分は最高潮に達する。軽やかなステップで揺らぐ風船を見つめながら街を歩く。 でもひょんなことで手から離れてしまう。 地球の重力に反して高く上がる風船。 空に向かう風船を寂しく見つめる子供の情景。 そんなところまで想像してしまう。 モノが人の手に渡った時の感情や情景を想像してしまう癖。
ここ数年で稀に見る落ち込み具合なので復活出来るように記録をしていく。 何が原因でこんなにも気分が落ちているのかは何となく理解はしている。 いつもなら目標立てして走る方向決めて、どのくらいの距離か目に見えて、どのくらいのスピードで走れば良いかわかってはいたけれど 突っ走れない。 色々な感情が纏わりついて身動きが取れてない。 なんとなく過ごしてる時間が多すぎる。 寄りかかれる場所が欲しい。 甘えんな、自分でどうにかしろ。 戒めとしての記録。
建築の「〜主義」とか「〜ニズム」とか全然知らないな。面白いだろうな。時系列と特徴だけでも最初にさらってnoteするか。
先日、贈り物をする機会があった。 彼女や家族以外にはなかなかあげる機会が少ない。 今回は職場の先輩に。 当日には渡せず連休中に買いに行く予定を立てた。 いつもはなんとなく家族だったらこんなのがいいだろうなぁ彼女だったらこんなの喜んでくれるだろうなぁって結構ラフに買い物を楽しみながら選ぶことが多い。 だけどなんだろう。そこまで近すぎず遠すぎずの人に送るプレゼントってなんだろうと考えてしまった。 いや当然いつも考えているのだが、変に考えてしまったという話。 その先輩は