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自己紹介|はじめてのnote|食と美容と健康、そして時々デジタル

はじめまして、このnoteを開いていただきありがとうございます。

気づけば17年?18年?くらい小さいながらも会社経営を続けてきましたが、裏方気質が抜けず、あまり外部にアウトプットする機会がなかった(正確に言うとアプトプットしようとしなかった)ことを反省し、少しずつでも良いので残していこうかなと考えたことからnoteを開きました。

そして公式の場では表現しづらいこともあるので、noteなら自由にやっていけるのではないかと…実際には、スタッフや外部企業さんからの突き上げがあったことも隠しませんが、この場ではあまり取り繕うことはせず、できる限りリアルな情報を発信できればと考えています。

今回、この記事を開いていただいた方は何かの縁かもしれませんので気になっても気にならなくてもたまに覗いていただけるとうれしいです。(いつまで続くかわかりませんが)

NOTEで記していきたいこと

きっかけは先に記したとおりですが、私が携わっている美容や健康領域の商品開発に関して、成分や開発理由など直接聞かれることは多いのですが、あまり一般の方々に情報を届ける機会がないので、このあたりを中心に発信していきたいと考えています。

<現時点でのイメージ>

  • 商品開発について(想いや背景、協力者など)

  • 健康食品や美容関連商材について(あれこれ書ける範囲で)

  • 健康、美容に関する情報

  • 経営、事業、仕事について(ゆるめに)

  • その他趣味領域(飲食・旅etc)

自己紹介

まずは書きたいことを書く前に、私が何者かということで時系的でまとめてみます。

・1976年 福岡県で生まれる
極々一般的な家庭に次男として誕生。
父方の祖父は内科医の理系家族。母方の祖父は事業家。(保証人になったことから全部持っていかれてしまった)
いつかnoteでも触れたいと思っているが、自らも料理人として働き、自然食へのこだわりが強かった母方の祖父が、晩年健康食品を開発し借金を返して亡くなったことは、何か今の自分に繋がっている気がします。

・小学3年生からバスケを始める
結果、大学まで続けることになるバスケとの出会いは担任=コーチというよくあるパターン。
タイムアウト中にパイプ椅子が飛んでくる。
骨折してもテーピングで固めて試合に出る。
鼓膜が傷つくからパーでなくグーで殴る。(理由は後で聞きました)
今では考えられない世界。
私の人生において最も私のことを殴ったであろう当時の先生とは今でも定期的に飲みに行っています。

・漫画のような世界で過ごす中学3年間
漫画ではなくリアルでした。いくら自由に書くと言っても書けないレベル。入学間もないタイミングで病院に運ばれ、親には心配を掛けましたが、今思えば人生において最も多様性と理不尽さを学んだ時代かもしれません。

・料理人になりたかった高校時代
すぐそこにいつでも入れる玄界灘、自然に囲まれたそこそこの県立進学校。
入学後の志望校調査で国立大学欄に国立(くにたち)辻調理師専門学校と書いて3者面談で怒られたのも良い思い出。
※田舎もんはくにたちという読み方を知りません
3年時は1日9時間拘束(授業)、夏休みは5日のみという国立理系クラス。授業は苦痛でしたが平和な毎日でした。

バスケ部キャプテン、男だらけの理系クラスと若干匂いが籠りそうな環境に属しながら実はケーキ作りにハマっていました。

・大学で上京
将来については、大学に行ってから考えろという祖父、両親の話を受け、2年の空白期間を経て、右も左もわからない大都会へ。
料理をしようと意気込んで入ったダイニングバーではキッチンから遠のくバーテン修行。歓迎会は何故か歌舞伎町で深夜0時スタートの合コン。
フリーター兼学生というよくわからないポジションを頂き、今よりも時間的には働いてたんじゃないかと思うくらい本分を忘れた生活を送っていました。
卒業旅行は貧乏学生らしくパキスタン→インド→ネパール。
旅に目覚めたのもこの頃です。

・某U社に新卒入社
約300人の新卒入社の中から1人だけ飲食部門へ。
最終面接で「まずは営業から!」と言われ、本人もその気でいましたが…
しかも、本社(東京)出社2日目にして、大阪行きの片道切符を頂戴。

金曜日に上長に言われて月曜日に大阪出社。
研修→長期研修→異動と月ごとに書類の備考欄に書き足されていくシンプルな文字。寮の片づけは翌月に東京に戻って行うという、(間違った)社会の厳しさを味わった社会人スタート。
お金は全く貯まりませんでしたが、振休は鬼のように貯まりました。

・転職
社内異動で通信事業のマーケティング部門にて2年間従事した後に転職。
経営コンサル企業→縁あって制作会社へ。
ディレクターとして制作事業に携わりながら、関連会社で某サッカー選手のマネジメント業務にも携わりました。
当時の制作会社は夜遅くまで働くスタイルでサッカーの仕事は地方、海外、そして土日中心。深夜土日とアホみたいに仕事をしていましたが、不思議と苦痛はなく、遊ぶように働くスタイルが確立されたのもこの時かもしれません。

ちなみに暇がなかったので、お金とマイルはよく貯まりました。

・起業(2007年)
男性美容関連事業の起ち上げを検討していたが却下され、何かないかなーと漠然と考えていたタイミングに色々なきっかけが重なり、制作会社の役員を兼務する形でエンジニア2名と共にweb開発会社(わをん)を起業。
起業のきっかけはさておき、夢と希望とヒリヒリ感が同居する毎日でした。

・もういっちょ起ち上げ(2010年)
知人から頂いたスパブランド(イタリア)の日本総代理店事業を売却したいという相談をきっかけに別会社(リフェット)を設立。
まさか自分が百貨店の化粧品売場に立つことになるとは思っていませんでしたが、成せばなるもんです。


書き連ねてみると色々とターニングポイントがあったなと。
他の選択をしたらどうなってたかな…なんて考えても無駄だし、まあなるようになるわけで。

と、ゆるい部分もキープしつつ、このnoteで色々と自由に書いていきたいと思います。

それでは初回はこの辺で。


自己紹介まとめ

  • 48歳 男性 福岡県出身 2児の父

  • 職業:

    • (株)リフェット代表(自然食品や美容・健康アイテムの企画、販売)

    • (株)わをん代表(WEB開発・デジタルマーケティングetc)

  • 趣味:食/旅/スポーツ全般(見るよりやる方で)




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