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私と私の母親は、行政と悪法に袋叩きにされたあげく、母は孤独に殺されましたご支援、お願いいたします。

詳細は、これまでの記事を、参照してください。

私は、18年間、認知症の母親を、1人で介護しました。
48時間起き続けるということも、何百回もありました。
私が、転んで、あばら骨を折った時も、三回トイレ掃除、四回お風呂掃除を、二日連続して、私のあばら骨は、変形もしました。
病院で、熱いお茶を飲ませる時は、外に出て、雪で冷やして、舌を焼かないようにもしました。

そのため、ケアマネや介護の方は、私を母親を溺愛していると例えました。
また母親は、彼女らに「食事も作ってくれるし、何でもする、最高の息子」と紹介しました。

また、認知症で、体が衰えていたため、いろいろな事がありましたが、私は、何度も母親の命を救いました。

しかし、事件は発生しました。
2024年3月13日から、全ては始まりました。
当日、早朝、母親の症状が悪化して、呼吸困難になっていたため、私は、いつものように救急車を呼びました。
しかし、当日、黒石病院の救急外来が、逼迫していたため、弘前市内の国立病院に、搬送しました。
そして数時間後、回復したため、当日行く予定だった病院に、タクシーで、移動しました。
病院は、昼休みで、患者しかいなかったのですが、母親は、タクシーに乗ると酔うため、いつものように自家用車を、自宅に取りに行きました。
病院の待合室は、暖かで、患者も居たので、その患者に託し、また病院は安全な場所と確かめたからです。
しかし、1時間以上過ぎてしまい、また母親に、転倒してできたアザがあったため、警察が駆けつける騒ぎになっていました

そこで、私は警察に、ケアマネや病院、救急隊員、施設に、問い合わせるように説明して、数時間後、誤解は解消され、警察は、帰って行きました。

しかし、その後、黒石市の包括支援センターの輩が、現れ、私に対して「大変そうだから、数日預かる」と言っため、数週間、悪化していた母親を介護するため、平均睡眠時間が、1時間で、床に寝ていたため、あっさり母親を彼らに渡してしまいました。
それが、悲劇の始まりでした。
私の弱みを利用して、彼らが拉致したのです。

翌日、母親の場所を聞くと「教えられない」と言われ、その翌日も「教えられない」と言われ、私はPTSDになりました。
本来は、3月14日に、弘前大学病院で精密検査して入院させる予定だったからです。

そして、何度も交渉しても、教えてくれず、ようやく会えたのは16日後の、29日でした。黒石市は、「命を守るため預かった」と説明していたにも拘らず、母親の症状は悪化し、私を把握せず、何も言わず、目を開いているだけで、さらに尿道にカテーテルを入れて、尿を貯める袋を車いすの後ろに、背負ている状態でした。
拉致された時は、話を普通にして、私を把握し、また1月まで、普通に歩いて、風呂やトイレも1人で行って、雪かきもしていた母親が、植物人間になっていました。
そのため、私はパニックになり、PTSDが悪化しました。

そして、母親の居場所を、聞いたのですが、黒石市は、その状態でも「居場所は、教えない」と母親と私の権利を妨害しました。

母親は、毎晩「私と一緒にいたいから施設には絶対行かない」「私(母親)が死ぬとお前が1人になるから、まだまだ死ねない、100まで生きる」と看護師などにも言っていました。

そこで、私は母親を守るため、母親の車いすを離さず「教えないなら窓から飛ぶ」と言って説得しました。
すると、警察官が、私を「自殺するなら保護する」と言って、私を確保し、母親は、彼らが再び拉致しました。

その後、私は数時間警察署の檻に隔離されたあと、精神科の医師の診察を説明もなく1分ほど受けさせられ、次の病院に移動することになりました。
車内では、複数の担当者が、私に対して、いろいろ質問してきて、私のPTSDの症状を悪化させました。そして1人の悪質な警官が、私を誘導尋問して、精神が異常なように、医者に魅せる演出をし、また私が車いすを掴んでいたのに、「母親の腕を掴んでいた」と虚偽の書類も作成していたため、私は、強制入院という、国連が人権侵害として国に対して廃止勧告している悪法が適用されました。
これでまた、私のPTSDは悪化しました。

そして、2カ月の入院し、5月24日に、母親に数分面会できましたが、3月29日と同じ状態で、私を把握せず、何も言わず、目を開いているだけでした。これでまた、私のPTSDは悪化しました。

入院当初から、国連が人権侵害として国に対して廃止勧告している悪法である後見人を付けないように、黒石市に要請していましたが、彼らは、裁判で訴えられることを、恐れ、勝手に後見人を付けていました。

退院後それが分かったのですが、悪徳後見人は、私が気付くまで、後見人になったことを報告せず、母親の支払いなどの財産管理もせず、金を取っただけで、何もしていませんでした。

私は、辞任して私を後任にするように要請しましたが、後見人は「場所は教えない」「知りたければタクシーで連れて行くが、母親の口座から取る(母親の年金は、月に3万円です)」「それが嫌なら、お前が支払え」
そばにいた黒石市の職員は「親があぶねーのに、金出さねーのかよ」と私を侮辱しました。そして「やめさせるなら危篤でも教えねーぞ」と脅しました
当初、黒石市は「危篤なら走ってきて伝える」と言っていたにも拘らず

そして口論の結果、後見人は「辞める」と言ったため、私を直ぐに後任にするように託して、帰しました。

翌日、裁判所に「後見人が辞めるので、早く私を後任にするように」と連絡しましたが、後見人からは連絡が無いと言われ、次の日も無いと言われたので、後見人に電話連絡すると「辞める気はない」「場所も教えない」と逆切れされ、さらに、ケアマネが、私が溺愛して、母親が最高の息子と言っていたことを、市役所から聞いているはずと言うと、「親を病院に置きざりにしたやつが溺愛かよ」「お前、いまいくらあるんだ」などと侮辱されたため、また口論になり、そのあと後見人は「裁判所に報告するからな」と私を脅しました。結果、裁判所の裁判官も、私が何度申請しても母親の場所を教えず
また役所が後見人に、私を母親に会せるように仲介しても、後見人は、無視して、私が電話しても出ず、行っても鍵を掛けて応対せず、母親の死を待つだけになりました。何度目のPTSD悪化でしょうか・・・後見人が付いただけでもPTSDが悪化ていましたが・・・

そして恐れていたことが現実になりました。
8月27日、黒石市の職員が警察を3人も連れて現れ、母親の死を知らされました。

母親は、粗末な中古物件を利用した安置所に、寝かされており、目から涙が流れていました。

私の大切な母親は、私と暮らすことを最後まで願い、施設に行くことを拒み続けていましたが、施設では、誰も見舞いに来ず、差し入れも無く、危篤になっても数日間、私を待って頑張りましたが、後見人は、私に危篤であることを一切教えなかっため、母親は、1人で家族に看取られることなく亡くなりました。

薬に対するアレルギーがあり、平熱が37度以上の特別な体質を、役所らは私に聞きもせず、薬漬けにしていため、手は水死体のように緑色に腫れていました。明らかに薬による中毒死です。私の親戚は医師だらけです。

また延命治療も後見人が勝手に断っていました。

私なら延命治療をさせるし、そもそも適切な治療をして、症状を悪化させていませんでした。まだ生きていました。今月の13日が誕生日でした。

そして現在も母親が亡くなた状態を市役所も教えてくれないため、全くなぜ死んだか、どのようにして亡くなったかも分かりません。
そして市役所と後見人の謝罪もありません。
何も説明できないと市役所から言われています。

これは母親と私に対する虐待・パワハラ、人権侵害、複数の犯罪行為です。
この後、あらゆる方法で戦います。彼らに未来を与えません。

なにも悪いことをしていない母親の人生を、侮辱して最後の願いを潰しました。私の手を握て、召される夢を妨害されました。

最高の亡くなり方を、彼らが阻止しました。

許せません。そしてPTSDは治らないでしょう。

とにかく、支援お願いします。

彼らを裁くことに対して・・・




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