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農村と都市、人と人とをつないだクレン(ホースラディッシュ)おばちゃん

バイエルン放送局が今から60年以上前にミュンヘンの住宅で撮った映像から。
 
荷物をいっぱいに詰めた背負いかごと手提げかごを持ち、スカーフを頬かむりした年輩の女性が家のブザーを鳴らし、家の女主人がドアを開ける。
(以下は2人のやりとり)
 
(スカーフの女性)奥さん、こんにちわ。今日はどんなクレンがお入り用で?
(女主人)なにがあるのかしら。
(スカーフの女性)瓶に入ったクリームソース仕立てのと生のクレンも。。。
(女主人)(手提げかごをのぞきながら)じゃ、クリームソースのを一瓶いただくわ。それとミントティーはあるかしら。
(スカーフの女性)ありますよ。(背負いかごをおろす)

(ナレーターの男性の声)きっとあなたのお家にもこのようにクレンおばちゃんがやってきて、お決まりの売り口上を述べたことがあるはず。”バンベルクのクレンだよ。いらなかったらそれまでだ”とね。
でもクレンおばちゃんからなにも買わずにいられるわけがないでしょう。だっていつだって、ちょうど何かが切れているのが常じゃないですか。ほら、例えばお宅でクレンを切らしていませんか?

BR Retro: Fränkische Krenweiberl in München

映像の主人公のスカーフの女性は、クレンすなわちホースラディッシュとその加工品を売り歩いた「クレンおばちゃん」。それを語る前に、「いや待って、ホースラディッシュって聞いたことがあるけど何だったっけ?」という方のためにおさらいと、それがドイツ南部でクレンと呼ばれるようになったゆえんを説明しましょう。

◎クレンの由来はチェコ語から


 ホースラディッシュとは日本では西洋わさびあるいは山わさびという名前で出回っている香味野菜。アブラナ科トモシリナ属(Armoracia rusticana)の多年草植物で、地中に埋まっている白い根茎部分をすりおろして食べます。


具体的にはローストビーフ、はたまたスモークサーモンのつけあわせに。肉、魚どっちでもお相手は問いませんという万能選手なのです。そんなもん知らんなあ、という人はご自宅の冷蔵庫に眠っているチューブわさびの成分をどうぞごらんあれ。西洋わさびも含まれているはず。ね、食べたことあるでしょ?

ちなみにS社のホームページではチューブわさびの商品説明として、「爽やかな風味の本わさびと力強い辛みの西洋わさびをバランスよく配合しました」とのこと。もちろん味を考慮したというのもあろうけど、わさびに比べたら、西洋わさびは育つのが早くて安い、というのが本音でしょう。ちなみにドイツではちょっと小さな大根サイズのホースラディッシュは約4ユーロ(640円相当)します。

こちらはH社の商品

標準ドイツ語だとホースラディッシュはメアレティッヒ(Meerrettich)です。ドイツ語をかじったことのある人なら「ははーん、Meerは海、Rettichは大根。併せて海の大根ってことか。つまりもともと海の近くで育った植物ね」と連想するかもしれません。ロシア南部、黒海の辺りが原産地とみられているので、あながち間違ってはないのですが、このMeer(メア)はメーレン(Mähren)、日本語だとモラヴィアと呼ばれるチェコ東部の地域名からきています。そこから伝わってきたということで、「メーレンの大根」と呼ばれ、ドイツの主要産地であるフランケン地方チェコ語のクレン(křen)がそのまま引き継がれたとのことです。

地上部

短くって言いやすいので、この記事でもホースラディッシュでもメアレティッヒでもなく、クレンで突っ走っていきます。
そうそう、同じく辛い植物で響きが似ている、クレソン(オランダガラシ)ではありませんからね。紛らわしいですけどくれぐれもお間違いなく。

◎秋から春まで都市に出稼ぎしたクレンおばちゃんたち


ではいよいよ「クレンおばちゃん」へと話を進めていきましょう。

バイヤースドルフに建つクレンおばちゃんの像
「クレンを食べて健康保持を!」と刻まれている


クレンおばちゃんとはフランケン地方のバイヤースドルフやバンベルク、フォルヒハイムといった産地の生産者のお母さん方。

ホースラディッシュは秋に収穫され、地下に収蔵されます。それに合わせてクレンおばちゃんたちは地元を離れ、春のイースターごろまでミュンヘンやシュトゥットガルトフランクフルトといった消費地で生のホースラディッシュとその加工品、あるいはその他の農産物や香辛料を訪問販売という形で売り歩いたのです。

ス一パ一で生のクレンは見かけない。瓶詰めの加工品だけ。おばちゃんたちは両方売りさばいていた。

当時の交通事情やコストから毎日家に帰るわけにはいかなく、おばちゃんたちは都市に共同で居を構え、農作業が始まる春まで出稼ぎしました。

商売の制服は土地の民族衣装。背中と手に詰め込めるかぎりの商品を持ってなじみのお客さんの家を訪問し、さらに新規客の開拓に汗を流しました。

◎クレンだけでなく情報も運ばれた

でも手に取ることのできるクレンだけではないのです、おばちゃんが運んだのは。世間のよもやまばなしから噂話まで、目に見えない情報が彼女たちを通じてもたらされました。中には縁結びのきっかけを果たした例もあったようです。
 
クレンおばちゃんがこの時代に珍重されたのには幾つかの要素があったのだろうと私は推測しています。

1つはもちろん便利さから。フィルムに出てきた女性宅では小さな女の子の顔がのぞきます。なじみの売り子さんが新鮮なものを持ってやってきたり、融通をきかせてもらえたらどんなに楽なことか。

2つめは彼女たちが通り過ぎていく人たちだったから。友人でもご近所さんでもなく、ましてや親戚でもない。顔馴染みになって親しくなってもまたいつ会うのかはよく分からないクレンおばちゃんはフーテンの寅さんのようです。しかも基本的には売り買いだけで成立している淡々とした関係。

それなのにおしゃべりが弾んだり、情報が行き交うようになったのは、おばちゃんたちが売るクレンという商品の性質によるところが大きかったのではないでしょうか。

クレンはビタミンCが豊富で、さらにはカリウム、カルシウム、マグネシウムといったミネラル分を多く含んでいます。病気に対する抵抗力を高めたり、風邪にも効くなどと言われ、「畑のペニシリン」と呼ばれるほど。保存だってききます。

おばちゃんたちから見たら売りものは白い根っこの形をした副作用の心配もいらない常備薬なのです。体調の不安や悩みを糸口に、クレンでお客さんの懐にグイグイ入っていけたような気がします。

それに売って買ってハイ、おしまいではやっぱりつまらない。なじみのお客さんとおしゃべりに興じることはキツい仕事をするクレンおばちゃんの最大の楽しみでもあり、話術も磨かれていたことでしょう。


フュルトで開かれた収穫祭のパレードで


 
「奥さんこんにちわ、久しぶりだね。元気だったかい?」
「あんましすぐれなくてね、最近睡眠不足だわ」
「クレン食べれば元気になるよ」
「うーん、眠れない原因はうちの子でね。いい年齢なんだけど相手がどうも見つからなくって。このまま一人じゃ大丈夫かなと心配で心配で」
「そうかい。この間**さんのお家でも同じようなことをこぼしてたよ。あそこの坊ちゃんも独り身が長いそうだよ」
「あら、そう。あそこのお家ならしっかりしてるからいいかしら。いいこと聞いたわ。じゃ、その太いクレン一本いただきましょ。ついでにニンニクも」
 
この会話は単なる私の妄想。でももしかしたら、60年前にはそんなやりとりが交わされていたのかもしれない、なんて想像は膨らむのです。。

◎訪問販売から出店形式へ、そして2010年に幕を閉じた


 女性が外で働き、家を空けるようになってから訪問販売はどんどん廃れ、おばちゃんたちは市場や歩行者道などで出店をするようになります。ミュンヘンのヴィクトリアンマルクトでは「クレンは美容にいいよ」とお客さんに呼びかける声が響いていたといいます。美と健康は切っても切り離せないー多くの女性にとっては重要関心事の一つ。商売上手なおばちゃんたちにはかないません。

でも時代の流れと社会の変化とともに後継者は少なくなり母から娘へと受け継がれてきたこの伝統も、ミュンヘンで最後に残っていた、当時70歳のヘルガ・クラウスさんが2010年の3月に売場横のデパートが閉店するのを機に引退して、クレンおばちゃんの長い歴史が幕を閉じました。

ヘルガさんは1957年から母親に連れられて訪問販売からスタートし、その後ミュンヘン中央の歩行者天国にあるデパートの軒先で売り続けました。場所替えを余儀なくされた時もお客さんは離れることなく、移動先まで買いに来てくれたそうです。

そして商品を並べて椅子に座って商売するヘルガさんはお客さんから折に触れて心中を吐露されることもあったといいます。「夫婦間の問題やら近所とのもめ事とか、ま、いわゆる女性の悩みだよ」とヘルガさん。

カウンセリングとかそんな大仰なことではなくって、ちょっと誰かに愚痴をこぼしたい、そんな時にフラリと立ち寄って言葉を交わせるクレンおばちゃんはおなじみさんにとっては心の調子を整えてくれる存在でもあったのでしょう。

 
売り子としてのクレンおばちゃんは消えてしまいましたが、今も時折その姿をおがめる機会があります。そのひとつがバイヤースドルフで開かれるクレン祭り。その様子は次のnoteで。


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