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回せ回せハンドルを回せ

 今日はアイスクリームの日なのだそうだ。

 明治二年の五月九日に日本で初めてアイスクリームが製造・販売されたことにちなんでいるらしい。

 ちなみに日本人で初めてアイスクリームを食べたとして公式に記録されている人物は勝海舟や福沢諭吉などの万延元年遣米使節団の一行だったと言われている。

 これから暑くなってくるとかき氷と一緒に食べたくなるものの筆頭としてアイスクリームの出番がやってくる。

 子どもの頃に好きだったアイスは棒が二つ付いていて真ん中で割れるダブルソーダでこれは一個で二人が楽しめる画期的なアイスキャンディーだった。

 しかしこのアイスを食べたことがある人ならば必ず経験したことがあると思うが、ちょうど真ん中で綺麗に二本に分けるのは至難の業だった。

 美味く二等分できずに先端がいびつな形で分離してどう考えても片方が不公平になる事態が続出した。
 
 兄弟で買った時には大した問題ではなかったが、友達とお金を出し合って買った時にはこのアイス分断問題はかなり真剣になる事態だった。

 なかにはこのアイスをど真ん中でパキリと割るのが上手な子がいてその子に任せておけば安泰だったが、ごくまれに失敗すると俺がこっちとお互いが大きい方を取りたがる醜い争いが起こった。

 しかもダブルソーダは溶けやすかったのでもたもたしていると食べている時に棒からするりと外れて地面に滑り落ちる事もよくあった。

 そんな思い出深いダブルソーダは現在ではもう販売していないそうである。

 確かにコンビニでもスーパーでもあのおなじみの青い袋を見かけなくなってずいぶん経つ。

 あの甘くて少しだけ炭酸を感じるような酸味の効いた味が懐かしい。

 アイスの事を書いていて思い出したのだが、私が小学生の頃に父がアイスクリームメーカーを買ってきた事があった。

 ちょうど自然食や手作り食品のブームの頃で添加物の入っていないアイスクリームを作るというのもその流行の一環だったのだと思う。

 さっそく作ろうとしたがまずはアイスを作る本体を八時間以上冷凍庫で冷やす必要があったので週末に作ることになった。

 待ちに待った日曜日の昼下がり、私たち兄弟が父にアイスクリーム作ろうよと催促すると分かったと言って母に材料を用意するように指示していた。

 始めに牛乳と卵黄と砂糖をよく混ぜてアイスの素を作る。

 そこにバニラエッセンスを一滴加えると俄然アイスクリームらしい香りがしはじめた。

 キンキンに冷えた本体にアイスの素を注いでフタをして上についているハンドルをクルクルと回す。

 始めは母がやっていたが面白そうだったので当然私たちもやりたがった。

 ハンドルは何の抵抗もなくクルリクルリと手ごたえ無く回せた。

 あまり乱暴にすると壊れそうだったのでゆっくり回していたが単調な動作なので三分もしないうちに飽きた。

 兄もすぐに止めて、弟に至っては僕はいいやと遠慮する始末。

 母に出来上がるまでにどれくらいかかるの?と何気なく聞くと三十分くらいかなという驚きの答えが返ってきた。

 ええっ!そんなにこのハンドルを回さないといけないのと思うと急に面倒くさくなってきた。

 そんな私たちを見ていた父がええい、わしがやるからどいてろと言って黙々とハンドルを回し始めた。
 
 その姿は真剣でどこかイライラしているようで声をかけづらかった。

 黙々とハンドルを回す姿を見ている事三十分、そのうちにおっ、手ごたえが変わったぞと言った。

 出来たの?と興味津々で聞くともういいだろうと言われた。

 はたしてふたを開けてみると中にはキラリとしたバニラアイスが出来ていた。

 ガラスの器に盛ってももらっていただきます。

 舌触りはふんわりしていて甘さも丁度良くてなにより新鮮っと言う味わいでこれは美味しいなぁと思って父に最高だよというと、そうかと言ってかなり誇らしげだった。

 手造りアイスは絶品だったが何といっても三十分間ハンドルを回すという重労働に懲りたのか父は、もう作らんぞと言って口に出来たのはその時の一回だけだった。

 台所の天袋に奥深くしまわれたアイスクリームメーカーはさぞかし無念だったろうと思う。

 そして家を建て替える時に誰かにもらわれていったのか姿を消した。
 
 あの幻の手造りアイスクリームの味はしっかり舌の上に残っている。

 美味しいものを作るには手間を惜しんでいては駄目だと言う典型的なお話でどこかの昔話にありそうである。

 急がば回れ、いや慌てる乞食はもらいが少ないの方がしっくりくるか。

 冷やっこいアイスが恋しい季節までもう少し。

 また、夏が来る。

 

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