あなたよ あなたよ しあわせになれ
今日五月二十三日は作家の浅田次郎氏原作の映画ラブ・レターが公開になった日で、語呂合わせで「こ(5)いぶ(2)み(3)」と読める事からラブレターの日なのだそうだ。
ラブレターと言うといかにも胸がときめく甘酸っぱい青春の思い出がついてまわる。
私のこれまでの人生でラブレターを書いた事は何度かある。
一番古い記憶を引っ張り出してくると幼稚園の頃までさかのぼる。
ちょうどひらがなを覚え始めた頃で仲良しだった女の子に折り紙の裏に鏡文字混じりにだぁいすきとか書いて渡していた。
もちろん折り紙は一番貴重なキラキラした金色の折り紙だった。
帰りがけにその子にそのたどたどしいラブレターを渡すと素直に喜んでくれて一緒に遊びに行ったものである。
幼いながらもしっかり恋愛感情というものはあったと思う。
小学校に上がると男子と女子はお互いを意識してあまり仲良くしなくなった。
あれだけ一緒にいた女の子もいつしか別々に過ごすようになっていた。
小学生から中学生時代の私は絵にかいたような陰気なキャラで恋愛なんてくだらないと斜に構えて過ごしていた。
中学生にもなると女子に興味が出てきていいものだが、中学時代のトータル女子と話した時間は確実に一時間未満のイケてない男子群に埋もれていた。
何せその頃の私ときたらゲームや特撮、アニメ、プロレス、ロック、時代小説と女子の食い付きの悪い趣味ばかり追い求めていたのでそもそも共通の話題が無かった。
ごくまれにアニメの話を女子がしているのに聞き耳を立てて俺だったらこう思うねと考察をかましたくなるようなイタイ奴だった。
なので中学時代はラブレターなんて縁の遠い風習だった。
やがて高校生になった私はこのままじゃ灰色の青春を歩んでしまうと危機感を抱いてキャラ変をすることにした。
この辺りの事は前にも少し書いたような気がするが身体を鍛えて、まるで興味のなかったJ-POPを聴くようになりファッション誌も本屋で立ち読みするようになった。
そして女子とも積極的に会話やコミュニケーションを取るように心掛けた。
あくまで下心が無い風を装って本音は女子と付き合いたいというギラギラした煩悩が私を擬態させていた。
そんなぱっと見爽やかさんにイメチェンした私に仲良くしてくれる女子友達が何人か出来た。
その中に何だか気になる女の子が一人いた。
笑うと目が無くなる所が可愛らしい当時人気だった鈴木杏樹さんにどことなく似ている子だった。
相手の事を知るたびにもっと深く知りたいと思うようになった。
なので男友達に俺、あいつのことが気になるんだよねと言うと告白しちゃえよとはやし立てられた。
そこで直接好意を伝えられたら格好良かったのだが根っこがヘタレの私はラブレターを書くことにした。
本棚からほこりをかぶった国語辞典を引っ張り出してきて自分の貧弱なボキャブラリーを全開にして便箋を何枚も無駄にしながらほぼ徹夜で恋文を書き上げた。
一晩かけて書き終わった後の高揚した気分でこれは絶対に上手くいくに違いないという確信しかなかった。
それを封筒に入れて彼女に渡せばいいものをそこでも度胸が無かったので友達に渡してもらうように頼んで自分はトイレにこもって待っていた。
この待っている時間のドキドキと緊張で喉はカラカラである。
ほんのわずかな待ち時間が永遠に感じられていたが、ふいっと友達がトイレに入ってきた。
その時の何とも言いづらそうな雰囲気で全てを悟ったが一縷の望みをかけてど、どうだった?と聞くとそいつは頭をフルフルと横に振った。
その瞬間めまいがして倒れ込みそうになったが壁に手をついて理由は?と何とか聞くと、字が汚いし自分より頭の悪い子はちょっと無理なのという返事だった。
その頃の私の学力は校内最底辺であり、赤点王の名を欲しいままにしていた。
んんぁ、バカは駄目かぁ…とヘタヘタと力なくトイレの床に座り込んだ。
それ以降彼女は私の事を意識して徹底的に避けるようになりお友達関係も解消された。
人生で渾身のラブレターを書いたのはこの時の一度きりである。
最近の若い人は恋愛に消極的だと言うが熱い思いを込めたラブレターを書いてみるという青春の一大イベントを経験してみるといいと思う。
あれ、でもそういえばラブレターを書いた事はあってももらったことは一度もないな…ううん、モテない君の青春冒険譚がバリバリ書けそうである。
いやぁ、青春の蹉跌ってやつですかね(多分違う)
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