出木杉君にはなれなくても
最近部屋の片づけをしていてふと気が付いたのだが、この家にはトロフィーや賞状、メダルの類が一つもないという事である。
古い記憶をたどっていくと作文だけは得意だったので小学生時代は学校の作文コンクールでたまに表彰されていたりしたがその賞状もさすがに昔過ぎて実家でも保管はしていない。
運動に関してはからっきしだったので何かの競技でトップに立つなんてことはあり得なかった。
マラソン大会では下から数えた方が早かったし、父に強制的に入らされたスポーツ少年団のソフトボールもチーム自体が弱小だったので大会に出てもよくて二回戦止まりだった。
ちょうどそのころ運動も勉強も抜群にできる出木杉君みたいな子の家に行くとサイドボードの上におびただしい数のトロフィーとメダルがあり、壁には賞状が額に入れて大切に飾ってあった。
その子は別に大したことじゃないよといつも謙遜していたがその態度がまた嫌みがまるでなくて余計に悔しぃと平均点以下のぼんくら小学生は妬むのであった。
中学に入ると表彰される人とそうじゃない人の差は如実になり、例えばバドミントンで全国三位とか陸上の長距離走で全国大会優勝という華々しい成績を残す生徒がもてはやされた。
朝のダルいだけの全校集会でその生徒の名前が呼ばれて校長先生がいかにも我が校の誉れといった態度で嬉しそうに首にメダルをかけるのをぼんやりと眺めていて自分には一生縁のない世界だなと改めて思っていた。
勉強は勉強で全国模試で上位十位以内に入るような猛者がいて、その子の周りには勉強を教えてほしいという生徒がいつも群がっていた。
その子も出木杉君パターンでその場で行われる即席の勉強会ではみんな真剣に彼の講義を聞いていた。
私はその輪には入らず机に突っ伏して昼寝ばかりしていた。
当然そんな怠け者なので賞とは縁がなくて中学時代は何一つ表彰されることはなかった。
そんなおバカさんでもどうにか入れる高校に進学してからはバカに磨きがかかったのでますます優等生のレールからは外れていった。
その頃の趣味と言えば筋トレとロックで、ぼんやりと将来プロレスラーになりたいと思っていたので筋トレは熱心にやっていた。
部活は卓球部だったがほとんど顔を出さずに、ウェイトルームでラグビー部や柔道部のゴリラのような子に交じって重たいバーベルを上げていた。
プロレスラーになるにはスクワットだと思って毎日五百回をノルマに屈伸運動をしていた。
他には首を鍛えないとケガをするという話を聞いていたので柔道部の仲の良かった子を練習パートナーにして首を押してもらったりタオルで引っ張ってもらったりして鍛えた。
筋トレの合間にはロックに夢中になり、あらゆるジャンルのロックを手当たり次第に聴いた。
そんな生活をしていたので私の周りには筋トレバカとロックバカばかりが集まるようになった。
どちらの友達とも仲よくしておりバイトをしてはその子達とカラオケに行くのが一番楽しい時間だった。
ロックバカの友達がコピーバンドをやっていたので機材運搬や音響などの手伝いをしたのもいい思い出である。
念願だったプロレスラーになる夢だが、私は身長が当時171センチしかなく既定の180センチに大きく届かなかった。
しかもただ体を鍛えているだけで華々しいスポーツの実績も皆無である。
高校二年生の時に新日本プロレスと全日本プロレスに履歴書を送ったがなしのつぶてだった。
当時私のように小柄ながらプロレスラーを目指す若者は掃いて捨てるほどいたので自分が引っ掛からなかったのも今ならば納得できる。
夢破れた私は、くそぅやっぱり表彰されるレベルの実績が必要なのかとその時痛感したものである。
大学に進学して何かを極めようとよく調べもせずに少林寺拳法部に入部したが大会での実績が何もない部活なのに理不尽に威張り散らす先輩の態度に辟易して三か月で退部してしまった。
その時に自分の中でプロレスラーになるという情熱が急速にしぼんでいくのが分かった。
それからはギターを買ってきて指が擦り切れるほど練習してある程度弾けるようになると友達と一緒に河原で弾き語りをしたりした。
ある日楽しく下手くそなギターで大声で歌っていると、うるせぇぞ!と言って路上生活者の方が刃物を持って飛び出してきたのでギターを抱えて必死で逃げたのもいい思い出である。
その場に歌のコードが書かれた本とギターケースを置いて逃げたのだが後でほとぼりが冷めたころに戻ってみると見事に無くなっていた。
やられたなぁと言いながら友達とその日は安酒で朝まで過ごしたものである。
なんだかんだあった学生時代だが大学生の時も当然賞とは縁遠い生活をしていたのでトロフィーやメダルなんて実物を見ることさえなかった。
それから結構な苦労をしてどうにかこうにか社会人になって生計がたったころに社内で技術コンテストがあった。
コンテストの詳細は明かせないがどれだけ習熟しているかを競い合う大会である。
街の公共施設を借りて全社員参加で行われたその大会は非常に盛り上がった。
大会は三人一組で行うのだが大会直前に私はチームの一人と大ゲンカをしてしまい参加そのものが危ぶまれた。
幸いもう一人が間に入ってくれたのでどうにか関係を修復することが出来た。
大会は順調に進み自分たちの番になった。
練習は十分である。
段取り良く作業を進めていき好タイムでゴールすることが出来た。
私としては会心の出来で充実感が全身を包んでいた。
そして迎えた結果発表。
…私たちのチームは何と三位だった。
意外な番狂わせにおおっ!と会場が湧いたことを今でも覚えている。
確かその時に賞状を貰ったはずだが今となってはどこに行ったのやら。
何といっても約四半世紀前の思い出である。
それからトロフィーやメダル、賞状の類とのご縁は切れている。
まあ普通に生活をしていたら貰う事の方が少ないだろう。
今でも文芸関係のコンテストは積極的に応募しているが芳しい成果はなかなか出ない。
それでも諦めずにコツコツと続けていきたい人生の目標である。
出木杉君にはなれなかったがのび太君だって努力して初恋の人とゴールインしているので人生は可能性の連続だと思う。
願い事を叶えるのはいつだって夢の力。
うひぃ、言ってて背中がゾクゾクしてきたけどやってやるもんね。
簡単に諦めるなんてそんなもったいないことが出来る訳ないじゃないですか。
よぅし、やってやるぞぅ!