楽しくて美味しくてうれしくて
日曜日の昼下がり、居間で一日一時間と決められたゲームを兄弟げんかをしながらギャアギャアと騒いでいると爺さんが、おううるさいのぅと言いながらふらりとやってくる。
そしておもむろに私たちに「今日は餃子じゃけぇの」と告げる。
その言葉を聞いて私たち兄弟はうわぁいやったぁと喜ぶふりをしながら、ううん餃子かぁと少しだけ面倒な気分になる。
我が家の伝統行事で年に数回家族総出での餃子大会が開かれる。
父の仕事が休みである日曜日に行われることが決まっていた。
ゲームの時間が終了するとお買い物の時間である。
兄は面倒くさがり屋だったので買い物についていくことはあまりなかった。
私はその間は母を独占できるので積極的についていった。
まずは八百屋さんでキャベツを一玉とニラを二束買う。
それからお肉屋さんに行って合い挽き肉を一キロ挽いてもらう。
他に足りないものがあれば買い足していったが途中で必ず甘味屋さんに立ち寄ってくれるのが嬉しかった。
そこでソフトクリームを買ってもらってペロペロ舐めながら帰るのは買い物の最大の楽しみであった。
もちろんこの事は母と私だけの内緒ごとである。
重い荷物を持って帰宅するとパチンコに出かけていた父が戻ってきている。
おう、お帰りと言って荷物を台所に運ぶのを手伝ってくれる。
それから休む暇もなく餃子作りが始まる。
父は強力粉と薄力粉を一キロずつ大きなボウルに入れて少しづつぬるま湯を加えながら生地を作っていった。
これがかなりの力仕事で子どもにはとても出来ない。
ドンドンドンと生地を叩きつけながら丸めていく。
しばらくして耳たぶよりも少し硬いくらいになったら濡れぶきんを被せて生地を休ませる。
その間に母は餃子の餡を作る。
キャベツ一玉をみじん切りにしてニラもみじん切りに。
刻んだキャベツに塩を振りかけて水分を徹底的に絞るのが美味しい餃子を作るコツなのよとよく言っていたのを覚えている。
それから合い挽き肉だけ白っぽくなるまで良く捏ねる。
そしたらキャベツとニラを加えてよく混ぜる。
味付けは醤油と塩コショウとうま味調味料とごま油をたらたら。
ごま油の香ばしい香りが食欲をそそる。
ここまでで下拵えは終了。
お茶休憩を挟んでいよいよ餃子を包んでいく。
一時間ほど休ませた生地は艶が出て柔らかくなっている。
その当時我が家は七人家族だったが餃子作りの役割分担はきっちり決まっていた。
まず生地を小分けに包丁で切って大まかに団子を作る役。
それを丸く成形して生地にする役。
その生地に餡を詰めてパタンパタンと畳んで成形する役。
大まかにその三つの工程を各々がやる家内制手工業だった。
私は手先があまり器用ではなかったので一番簡単な生地を小分けにして包丁で切り分ける役割を担当していた。
まだ小さかった弟はその切り分けた生地を丸めたり捏ねたりして遊んでいた。
生地を丸く成形するのは爺さんと父の役割だった。
爺さんは手先がとても器用だったので麺棒の角を使ってシュッシュッと音をさせながらあっという間にまん丸な生地を作り上げていた。
父もそれに負けない速度でクルクルと麺棒を回しながら作業していた。
その補助で兄も一緒になって生地と格闘していたが手先の不器用さでは私とどっこいどっこいだったのであまり戦力にはなっていないみたいだった。
そうやって丸くなった生地に婆さんと母が餡を詰めて畳んでいった。
母は生真面目な人なのでなるべく同じ形になるように集中して包んでいたが、ズボラで大らかな婆さんの作る餃子は餡がはみ出たり大きさがまちまちだったりしたのでどっちが作ったのかすぐにわかった。
この作業にかかる時間はだいたい二時間くらいでテレビを観ながら手を動かしていた。
餃子を作る時は不思議と相撲中継をしていることが多くて無類の相撲好きの爺さんの即席の相撲解説を聴きながらさぁてどっちが勝つかと画面に釘付けになって作業が疎かになることもよくあった。
相撲が無い時には父がお笑いが好きだったので噺家さんが面白い事を言って座布団を貰うあの番組をつけていた。
噺家さんが何か言って会場が爆笑の渦に巻き込まれると普段は苦虫をかみつぶして滅多に笑わなかった父の口角が少しだけ上がるのを見逃さなかった、
その合間合間には学校での出来事や婆さんと母の他愛もない話で盛り上がったりと家族の団らんの時間だった。
餃子を包み終えるとすぐに食べる準備である。
母が家で一番大きな鍋にお湯を沸かす。
その間に父がタレを作る。
タレは醤油と酢とごま油とたっぷりのコショウと言う大人の味だった、
ニンニクも大量に摺り下ろす、これは私の役目だった。
コンロにガスホースをつないで居間に設置する。
大鍋が沸騰したら待望の餃子大会の始まりである。
グラングランに沸いているお湯に父が餃子をトプントプンと沈める。
それからフタをして沸騰するまで待つ。
爺さんと父はビールで乾杯である。
子ども達も餃子の日は細いガラス瓶のオレンジジュースが一本だけ支給されるのでそれがとても嬉しかった。
そのうちに鍋が沸騰してフタが浮いてくる。
鍋の中には餃子が浮かんでいる。
父がおもむろに一個取り出して味見をしてうむ、と言ったら食べていい合図である。
お玉でお皿に掬ってもらってタレをつけて頬張る。
熱々の生地が口の中にくっついて火傷しそうになる、ホフホフと熱気を逃がしつつ噛み切るとジュワンと肉汁と刻んだ野菜の甘みがやってくる。
思わずう、美味ぁいと声が漏れる。
ニンニクを入れていないのであっさりしているのでパンチが欲しい時はタレに擦りおろしニンニクを追加する。
一度に茹でるのは大体ニ十個。
爺さんと父はビールをゴブゴブと飲みながらとても幸せそうな顔をしている。
私も兄も弟も夢中になって食べる。
婆さんは猫舌だったので少し冷めるまでいつも待っていた。
母は遠慮なくモリモリ食べていた記憶がある。
餃子の日は他のおかずは一切なく、ご飯も炊かないので全員が餃子に意識を集中する。
二回目が茹で上がるとそれっとばかりに箸が伸びる。
お喋りもそこそこにみんな餃子に夢中である。
爺さんと父はお酒を日本酒に変えてチビチビと飲んでいることが多かった。
私も一本だけのオレンジジュースの残量を気にしながらチョビリチョビリと飲んだものである。
三回目…四回目と餃子が追加される。
あの頃はみんな食欲が凄かったので茹で上がる端から餃子は胃袋に消えっていった。
途中でお湯が濁るので差し水をする時が一瞬のインターバルだった。
再びお湯が沸騰すると第五ラウンドのゴングが鳴る。
父が酔ってきてだんだん手元が怪しくなってくるので餃子の投入係は途中から母に変わる。
そしてひたすら餃子を食べつくすまでこの流れが延々と続くのである。
一番食べていた頃で二百個は余裕で超えていた、
全ての餃子を茹できってご馳走様をしたらお腹がはちきれそうになってその場に転がりたくなったが、小麦粉と少量の餡の組み合わせなので一時間もするとあれ、もう少し食べられそうという気持ちになるのが不思議だった。
こうして半日がかりで準備してひたすら食べる恍惚の餃子大会は幕を閉じるのであった。
マッチ箱のような小さな家に七人がひしめき合うように暮らしていたあの時代、決して裕福ではなかったがいつも笑顔があった。
爺さんがいて婆さんもいて、あの頃は楽しい思いでしかない。
最後に餃子大会を開いたのはもう十年くらい前になると思う。
その時は妻も初参加したが美味しい美味しいとパクパクと水餃子に舌鼓を打っていた。
そうか、あれ以来ご無沙汰なのか…。
こんなに楽しい家族行事を絶えさせるのは非常にもったいないので我が家で受け継いでいきたい。
なぁに昔取った杵柄だ、今の私にもできる出来る。
もちろん父ちゃんと母ちゃんも呼びますとも。
おうい、今夜はぎょうざだぞぅ。
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