達人は箸先一寸。
今日八月四日は語呂合わせで箸の日なのだそうだ。
割りばし協会が設立した記念日で箸を美しく使おうと言う思いが込められている。
東京の永田町にある日枝神社では箸の日にあわせて神前で長さ一メートルの箸を御神火で燃やして古い箸を供養する箸供養祭が執り行われているそうである。
箸と言えば私は小さい頃からちゃんと使えるようにと祖父に厳しく仕込まれたものである。
祖父の自慢は食事で箸を使っても先っぽの一センチしか濡れていないという事でその箸遣いはとても美しかった。
その反動か父はマナーというものにまるで興味を示さなかったのか箸のマナーを一つも守っていない野生児っぷりだった。
祖父はその粗暴な仕草に辟易していたのか食事をしていると苦々しい顔をして父を観ていた姿を思い出すことが出来る。
そこで父に仕込み損ねた自分の箸遣いの技術を孫に伝えようとした。
幼稚園に通っている頃に持ち方から厳しく指導を受けた。
その頃は典型的な握り箸だったので矯正されることは苦痛だった。
どうにか形だけ真似したら次は大豆を使った訓練だった。
大豆を小皿にあけて右の皿から左の皿に移すよくある練習法だがこれも相当苦戦した。
何度やってもポロポロとこぼれるのである。
その度に祖父に気合が足らんと言われてピシリと手を叩かれるのが何より嫌だった。
そんないつ終わるとも知れない猛特訓が続いた。
手先の器用な兄はすぐにマスターして箸遣い学校を卒業していったが不器用な私はどうにもこうにもパッとしなかった。
毎日の食事の度に祖父がギョロリと睨んでいる気がして楽しくなかった。
結局私は祖父の免許皆伝を貰う事はなかった。
今ではさすがに握り箸ではないものの気を抜くと鉛筆持ちになってしまう。
実家にいる時はかなり気を遣っていた箸のマナーも一人暮らしを始めたらグラングランと音を立てて崩れた。
かなりいい加減になった箸遣いで久しぶりに実家で食事をすると祖父が何とも言えない顔をしていたのを思い出す。
結婚してからは妻がとても厳粛な家庭に育ったので私のマナーの悪さに呆れていたものである。
しばらくは小競り合いがあったが今では妻の努力もあって少しは往年の勘を思い出した。
大人になって思うのは祖父の言うことをもっとまじめに聞いていればよかった。
箸遣いが綺麗な人はそれだけで上品に見えるし何より美しい。
これからもなるべく意識して箸遣いの上達に努めたい。
それにしても祖母の箸遣いはいい加減だったな、あれが父のルーツに違いない。
そんな事を思いながら昨日の晩御飯の話を。
昨日は買い物に行かない日。
冷蔵庫にトマトと玉ねぎがあったのでスパゲティをメインに。
トマトをざく切り、玉ねぎはみじん切り。
お湯を沸かして塩をバサリ。
スパゲティを一人百グラム茹でる。
その間にソースづくり。
ボウルにトマトと玉ねぎを入れてそこににんにくのみじん切りも入れる。
味付けは塩とコショウと酢。
全体が馴染むまで混ぜたらそこにオリーブオイルをタラタラと垂らしながらしっかりとかき混ぜる。
トマトの水分で味が薄まるので少し濃い目の味付けにすると良い。
スパゲティが茹で上がったら冷水にとってよく締める。
お皿に盛ったら上からトマトソースをかけてトマトの冷製スパゲティの出来上がり。
スパゲティを作っている合い間にチーズと玉ねぎを乗せたトーストを焼いておく。
チーズトーストが焼けたら晩御飯の完成。
シンプルに二品という潔さ。
お酒は休肝日。
妻と一緒に頂きます。
まずは冷たいうちにスパゲティから。
よくトマトソースを絡めてツルリと食べると爽やか~という味わいである。
ニンニクの風味もするがトマトと玉ねぎだけの具材がいい仕事をしている。
塩コショウと酢だけの味付けだがトマトの旨味がよく出ている。
冷製スパゲティは普段あまり作らないのだが火を使わない料理をしようかなと意識しているのでこの献立になった。
惜しいのは普通の太さの麺を使ったので若干食感が重たい事だった。
今度作る時は細麺を用意しようと思った。
チーズトーストも簡単に出来る割にはサクサクして食べ応えがあった。
スパゲティだけだと少し物足りないのでボリュームが出て丁度いい塩梅だった。
全部食べたら結構満腹になった。
洗い物が少ないので片づけもラクチンだった。
そういえば昨日の献立では箸を使わなかった。
和食の箸遣いがイマイチなら洋食のテーブルマナーもあやふやである。
そろそろテーブルマナー講習に通った方がいいのかしら。
手づかみでガジガジ噛んでいいのは赤ちゃんまで。
たまにはやりたくなりますが。