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煙は目にしみる

 今日の予想最高気温は三十六℃だった。

 運転していて道路にたまにある温度計は三十五℃になっていたのであながち間違いではないだろう。

 週末に雨が降ってそこからようやく季節の空気が入れ替わると天気予報で言っているのを昨日聞いた。

 九月も後半戦に入ろうかというこのタイミングでのこの暑さは正直いい加減にしてほしい。

 そんなしつこい残暑の抵抗にあって食卓に上る旬の食材の値段がことごとく高いのには正直戸惑っている。

 私は一度の買い物の予算を決めてからスーパーに行くのだが、最近は予算に収まらないことが多い。

 家に帰って買い物を広げてあれ?これだけしか買っていないのにこの金額なのか…と家計簿をつけながら厳しいなぁと思う日々である。

 秋の味覚と言えばサンマが定番であるが、今日覗いてみたお店での値段は一尾400円。

 二尾パックに入っていて780円と強気すぎる値段でとてもじゃないが手が出せなかった。

 しかもそのサンマも身が痩せており細長くて小刀を連想させる頼りなさだった。

 今年の初水揚げは豊漁だったらしいが、これから先はあまり獲れないだろうという専門家の見立てもありサンマ一尾100円の時代は夢の話で終わるかもしれない。

 私はサンマは大好きな魚なので子どものころから秋が来るのを楽しみにしていた。

 父が凝り性だったので週末になると庭に細長い七輪を持ち出してきて炭火でサンマを焼いてくれる日を心待ちにしていた。

 直火で焼くとサンマから落ちる脂で真っ黒に焦げて生焼けになるのでレンガを七輪と焼き網の間に挟んで火力調整をしてうちわであおぎながら遠火の強火でじっくり焼いていく姿は格好良かった。

 サンマが焼けるまでの間に母が太い大根一本を丸々すり下ろすのを手伝わされたものである。

 使い込まれたプラスチックのおろし金は切れ味がイマイチで苦戦したをよく覚えている。

 手が疲れてきたら兄弟で交代してゴリゴリと大根おろしを拵えた。

 すると庭からサンマの焼けるいい匂いがし始める。

 その香ばしい香りだけで喉が鳴ったものである。

 ようし、焼けたぞと言って父が母にお皿を持ってくるように言う。

 最初に焼けた二匹は祖父と祖母の分だった。

 それから次に子ども達の分を焼いてくれた。

 自分の順番が回ってくるのが楽しみで母が他に作ってくれていた副菜には目もくれず父の姿を目で追っていた。

 そのうちに自分でもやってみたくなって、父ちゃん僕もやってみたいと言うとそうかじゃあこっちに来いというので庭に降りた。

 七輪の前に座って焼けていくピンピンに新鮮なサンマを見るとワクワクした。

 うちわを持たせてもらってパタパタとサンマに風を送る。

 脂がしたたり落ちてボッとかジュッとか音を立てる。

 その度に香ばしい煙が辺りに広がってお腹がグウと鳴った。

 いいか、サンマを焼く時はあんまり何度もひっくり返すものじゃないんだぞと父に言われたので焦げていないかが気になりながらじっくりとうちわをあおいだ。

 そのうちにもういいだろうと言うので火ばさみでひっくり返すとこんがりと焼けており見るからに食欲をそそった。

 残りの半身も焦らずに焼いて父の方をチラリと見ると、よしと頷いたので母ちゃん焼けた―と呼びつけて身が崩れないように慎重にお皿の上に乗せた。

 さて、ようやく念願のサンマとのご対面である。

 熱々でまだ表面がプスプスと音を立てている。

 スダチを絞って醤油をかけた大根おろしをたっぷりサンマの身に乗せてアムリと頬張る。

 冷たい大根おろしとスダチの酸味の奥から脂ののったさんまの味がする。

 丸々太ったサンマなので身はふっくらとしており炭火で焼いているので香ばしさも加わって最高の味わいだった。

 すかさず炊き立てのご飯をモリッとつまんで口に放り込む。

 サンマの味とお米の味が混然一体となってうっとりする。

 まだ子どもだったのではらわたは酒飲みの祖父に進呈した。

 ほじほじと身をつまんで大根おろしと一緒にモグモグと食べていると一尾なんてあっという間に無くなってしまった。

 もうちょっと食べたいなぁと思っていると祖母が私のを食べんさいと言って半身を分けてもらった時には思わぬボーナスを得たようでありがとう婆ちゃん!と言いながらご飯のお代わりもした。

 その頃には自分と母の分のサンマを焼き終えた父が戻ってくるので、お疲れさまとかありがとうとかみんなで労っていた。

 父は一仕事終えた満足感からか充実した顔をしており機嫌が良かった。

 芋焼酎のお湯割りを飲みながらサンマをつつく姿が何とも頼もしく見えたものである。

 サンマを焼いた後の七輪はまだまだ火力が残っていたので父はその中にアルミホイルに包んだサツマイモを突っ込んで放置しておいた。

 私はサンマ一尾半と大盛りご飯二膳を平らげてお腹いっぱい大満足だった。

 みんなが食べ終えるくらいの頃に七輪を見に行くとアッツアツの焼きいもが出来ているという見事な段取りにさすが父ちゃんと尊敬の念すら覚えた。

 ホットミルクをいれてもらって焼きいもと食べるとその相性の良さにうっとりした。

 昭和の時代はサンマもサツマイモも驚くほど安かったからできた大人の遊びだろう。

 父のサンマ焼きイベントは私が小学生の頃は頻繁に行われていた。

 あれは不器用な父なりの家庭サービスだったんだろうなと今になって思って微笑ましい気持ちになる。

 家族みんなが笑顔になれる食卓を囲めたことに感謝である。

 サンマにはいい思い出しかない。

 果たして今年は口に入る事があるかなぁ。

 一尾250円まで値段が下がったら買う…かもしれません。

 その時は父と母を招いてウチでサンマパーティを開こうかな。

 うん、楽しい事は受け継いでいかなきゃね。

 サンマ様どうか10月に大豊漁でお願いいたします。

 

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