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手を合わせていただきます
今日は戦後に東京、千葉、神奈川で学校給食が再開された日にあたるそうだ。
正式な日付は1946年の12月24日らしいのだがその期間は冬休みなので一か月ずらした今日を記念日に制定しているとのこと。
私の両親が小学生だった昭和三十年代の給食はそれはもう美味しくなかったそうでぱさぱさに乾いたコッペパンと当時は格安だったクジラ肉を使った竜田揚げ、そして多くの人があれは苦手だったという脱脂粉乳などが主な献立だったと良く聞かされた事がある。
脱脂粉乳とは牛乳から脂肪分を抜き取った粉末でそれをお湯で溶いたもの。
味に独特の癖があったらしく父も母も鼻をつまんで一気飲みをしていたそうである。
その反動か両親は今でも牛乳はあまり得意ではなくほとんど飲まない。
私の育った昭和五十年代になると給食もずいぶん進歩して栄養バランスの考えられた献立になっていた。
流石に脱脂粉乳はもう無くて瓶の牛乳だった。
四時間目の授業が終わると給食当番が帽子と割烹着とマスクを着用して給食室に給食を取りに行った。
当時はクラスに四十人くらい生徒がいたので給食の量もかなり多かった。
特に牛乳の入った黄色いプラスチックの箱はとんでもなく重くて低学年の時には上級生に手伝ってもらっていた記憶がある。
教室に給食を持って帰るとすぐに配膳を始める。
プラスチックのトレイにアルマイトのお皿やお椀を乗せて給食当番がパンやシチュー、メインのおかずをよそってくれる。
私の時代まではまだクジラが給食の献立にあった頃で竜田揚げはわりと定期的に出されていた。
あれは冷めるとカチカチに硬くなって少し獣臭い味がしてなかなか個性のある食べ物で苦手な子も多かったが噛めば噛むほど独特の旨味が出てくるので私はわりと好きだった。
特別なアレルギーを持つ子を除いて給食は完食が絶対条件だったので苦手なものが出てきた日にはほとほと困り果てたものである。
その頃の私はリンゴ入りのポテトサラダが鬼門でこれが出た日には終わった…と絶望的な気持ちになった。
当然食べきれないでぼやぼやしているとお昼休みが終わってしまう。
どうしても口に運ぶことが出来ずにいるとそのうちに五時間目の授業が始まる。
みんなが勉強をしている中で一人取り残されている時の焦燥感と情けなさは今思い出しても苦い気持ちになる。
結局放課後になってもほとんど食べられずみんなが帰って行ってもまだポテトサラダとにらめっこをしている時間はかなりの精神的苦痛だった。
よほどトイレに流してしまおうかと思ったが担任の先生がずっと見張っているので教室から出ることもかなわなかった。
そんな軟禁状態で給食がほとほと嫌になり一時期登校拒否になったのも今となっては懐かしい。
こうして振り返ってみると給食にはいい思い出が少ないようだが好きなものもあった。
それはミルメークで牛乳に入れる粉末のコーヒー牛乳の素である。
牛乳を一口飲んでそこにミルメークを入れてストローでかき混ぜると甘いコーヒー牛乳が出来上がる。
これがめっぽうパンに合う最高のお供でたまに出てくるのをとても楽しみにしていた。
今でも百円ショップなどで売られているのを見ると懐かしい気持ちになる。
確かイチゴ味もあったはずでそれもまたイチゴ牛乳になって良かった。
ふと気になって令和の子どもたちの給食はどんなものを食べているのだろうと思って検索してみた。
すると私の出身小学校の今日の献立は以下のとおりである。
麦ごはん、五目うどん、県産卵焼き、野菜のゆずきち和えの四品であった。
これは全国給食週間に合わせた豪華版で普段の献立はもっと質素だった。
食材の高騰や人件費など様々なコスト面から給食自体の量や質が低下していると言われているのはどうやらあながち嘘ではないらしい。
食べ盛りの子どもたちがお腹いっぱいご飯を食べられる環境を整えてほしいなと切に思った次第である。
そんな話を書いていたらお腹が空いてきたので昨日の晩御飯の事を少しだけ。
昨日は久しぶりにサバの味噌煮を作った。
サバの半身がふた切れで300円だったので手が伸びた。
帰宅してすぐに調理に取り掛かる。
まずはお湯を沸かす。
その間にショウガを輪切りにしておく。
沸騰したらサバの切り身をお湯にサッとくぐらせて表面の色が変わったら取り出して流水でぬめりを取っておく。
フライパンにサバを並べて水、酒、みりん、砂糖、味噌、醤油を加えてショウガの輪切りを入れて火をつける。
最初のうちに出てくるアクは丁寧に掬い取る。
次にアルミホイルで落し蓋をして煮込んでいく。
火加減は強めの中火。
十分くらいしたら様子を見て煮汁が少し残っている状態でサバを引き上げる。
強火にして煮汁を煮詰めてサバにかけたら簡単サバの味噌煮の出来上がりである。
副菜はシンプルにネギ入りの卵焼き。
もう一品は頂き物のかつお味噌。
汁物は油揚げと玉ねぎの味噌汁。
ようし、こんなものでしょうと思ってよくよく見てみると味噌味の多い献立になっていた。
まあいいかと思って妻を呼んで頂きます。
早速サバの味噌煮から食べる。
身が締まっており味噌味が染みていてショウガの風味が生臭さを抑えていて食べやすい味。
何よりご飯のおかずとして相性が抜群だった。
次にネギ入りの卵焼きを。
池波正太郎が好物だったという話を読んでからウチでも定期的に作る。
ネギをケチらずに卵の量よりも多く刻んで入れるのがコツらしい。
味付けはシンプルに醤油と砂糖。
ネギのショキッとした食感が良くていかにも昔ながらのお惣菜という感じである。
かつお味噌はやや甘めの味付けながらも味噌にかつおが練り込んであり出汁の効いた味わい。
味噌汁で口の中をさっぱりさせてバランスよく三角食べでご飯とおかずと汁物を食べていった。
昨日は休肝日だったので一時間弱でご馳走様。
後片付けをして早めに就寝。
皆さんも自分の世代の給食はこうだったという思い出がありますか?
よければぜひ聞かせてください。