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今、振り回されてる方へ

振り回されてると思っているそこのアナタ、
アナタは私です。

何じゃ?コイツ、頭おかしいんか?
と思われるのは重々承知。

ですが、ちょいと聞いて下さいませ。

アナタは「振り回されてる」んですか?
だとしたら、誰かに拘束されて、どこかに
くくりつけられて、
グルングルン回されてるって事ですか?

違いますよね?

それって、【精神的に】なんじゃないですか?

だったら私が語る【精神的な対処法】を
読んでみて下さい。








振り回されてると思うなら対処法は
「振り回されない」と決める事です。

とても単純ですが、
例えば待ち合わせの時に、振り回されてる人は
「相手を待たせてはいけない」
と思っていたりしませんか?
それ、本当に必要ですか?

だって相手には散々待たされてるんですよね?
という事は、相手は、
「相手を待たせても良い」
って思ってるんじゃないですか?

アナタが待たせても問題無いですよね?
待たせましょう。

その分アナタは、「待たせても良い」と自分に
許可を出し、精一杯自分を楽しみましょう。

その上で「待ち合わせ」に行ってみて下さい。





どんな気持ちですか?
相手に対してどんな思いを感じましたか?

相手を思いやる優しい人ほど、
相手の気持ちを想像しますよね?
でも、相手は「同じようにしてくれない」と
感じるのだとしたら

それは自分の分まであげてしまってるサインです。

そうすると、アナタの優しい心は暴走し、
「私はいつまで経っても報われない」
と悲劇のヒロインになってしまいます。





でも、アナタはそれを望みますか?
恐らく望まないという前提で続けさせていただくと

だったらハッピーな主人公になりましょう?
っていうご提案なんです。

ハッピーな主人公は誰かに待たされるでしょうか?
待たされないと思うなら、
アナタも待たない。

ハッピーな主人公は誰かの尻拭いを嫌々ながら
するでしょうか?
しないと思うなら、アナタもしない。






アナタが信じても信じなくても、
この現実はアナタが創り出しています。

現実世界はアナタの
「思いどおり」に展開しているのです。

はあ?こんなん私は求めてないし。

はい。

「望み通り」ではありません。
「思い通り」です。

アナタが「報われない」と思うなら
「報われない」現実になります。

アナタが「振り回されていない」と思うなら
「振り回されていない」現実になります。






心が先で、現実には後から反映されるのです。

言われたくない言葉を
一番言われたくない人に言われてしまったのは、
アナタの中に
「不安」があったからです。

それが反映されただけの事です。





振り回されてしまうのは、相手が
アナタにとって大切な方だから
なのではないでしょうか?

だとしたら、アナタが選んだ方が
ありのままのアナタを受け入れられないわけ
無いじゃないですか。

どうせなら、ありのままの自分を表現して
みませんか?

いつも振り回されてきたなら、たまには
振り回したって良いじゃないですか?


以下は私の気付きのエピソードなので、
お時間のある方、長文でも大丈夫な方だけ
お進み下さい。



↑これ?これは、しじみ画伯が何も見ずに描いた
「トリケラトプス」です✨( ー`дー´)キリッ✨




久しぶりに主人と意見が分かれ、
はじめは不安感と焦燥感に襲われました。

私は争い事が苦手だし、普段自分をご機嫌に
しておきたいので、早々に話を変えようとしたら
うまくいかず。。。

あぁ、これは何か学びの課題が与えられてるのかも
と思いました。


そして、私が学んだ事は

「二元論の話になったら、それを深刻に
受け止めなくても良い。」

「答えが出ないまま、終わらせても良い。」

「自分も相手も主張を変えなくても良い。」

「異なる意見をもつ相手の意見は
受け入れないまま、
相手の存在まるごと愛して
異なる相手の意見を認めても良い。」

でした。





一番大きな気付きは最後のものだったのですが、
自分の意見と相手の意見が違う時、
どちらかが「正しい」をゴールにすると
二元論なのでどちらかがゴールに辿り着けません。

かといって、「答えを求める」をゴールにすると
必ず結論が必要になり、
ものすご〜く負担がかかります。

だから今までは、私が意見を飲み込んで
バランスを取る事もありました。
争いたくないし、否定もされたくなかったから
です。

なぜなら私の中に
「意見が違うなら、
真反対の意見をもつ私は
相手から受け入れられない」
という思いこみがあったからです。





そうか!心が反映されるのだから、
私が「どんな私でもこの人なら受け入れてくれる」
と思えば、そういう現実になるじゃん!


と今までの思いこみを感謝と共に手放して
主人を見つめたら
愛しくて愛しくて…改めて大好きだな、と
思いました。


そして、安心して眠りにつけたのでした。







意見が異なる時「ケンカ」だと思えば
ケンカになりますが、
「意見交換」をしたと思えば、
意見交換をしただけなので仲直りも
必要ありません。

だから私も主人も謝らなくても良いし
自分の意見を変えなくても良いのです。

どっちも尊くて
どっちも正しくて
どっちも大切なのです。

そして私は、ありのままの主人が大好きで
主人も、ありのままの私が大好きなのです。





だから、異なる意見をもつ主人は
そのまま自分の信念を貫き通して良いし
私も異なる意見をもったまま
自分の信念を貫き通して良い
と思いました。

そしてそんな二人だからこそ、
寄り添い合って助け合って生きていけるのだと
とても幸せな気持ちになりました。






心の仕組みに気付いてしまえばこんなに簡単
ですが、私の脳に解決策を任せてしまうと
意見が異なる

ケンカ

譲れない

離婚?
と計算し始めてしまうので、

ヲイヲイ!ちょい待っ!待てよ!!

と声をかけて、しじみの脳内コンピューターには
お暇を出してお休みしていただき、
ハートで結論を出したのでした💕







余談ですが、第三の目って
「真実を見る目」だってご存知でした?
この目が第三の目と呼ばれる理由は、
肉体的な目を閉じた時にこそ
開きやすくなるからです。

第三の目で霊が見える、というのはオカルトで
スピリチュアル的には「物事の本質」が
見えるんですって。

確かに目を閉じて自分に集中すると
「言葉にできないかも知れない」けど
「はっきり分かる」ものって、たくさんあるな〜
と思いまして。。。

だからこそ、自分なりに
「言葉にできないかも知れない」ものを
言葉にしながら伝え合って、学び合って、
「目に見えない自分の魂のカタチ」を
知っていくのかも知れないな〜なんて
思いました。


最後まで読んで下さって
ありがとうございました🙇💕

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