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★Books collection-1 "ナラタージュ"

Hi, guys! Hinataです.
今回は夏休みに入って出会った本の感想をつづる回です^^
最近、時間を持て余すのが本当にイヤで、暇な時間には何かしらしなきゃとそわそわしてしまいます. 私の夏休みあるあるです^^
今年は、本やドラマ、映画をただみるだけでなく、何を考えたか、思ったか、こうして形にして残すことで、消化不良感をなんとか解消したいなと思います. よろしければお付き合いください.


<https://amzn.asia/d/40wJFYC>より

◯ナラタージュ(2005)

▶基本情報
作者:島本理生
出版社:角川書店
出版年:2005年

▶あらすじ

お願いだから私を壊して、帰れないところまで連れて行って見捨てて、あなたにはそうする義務がある――大学2年の春、母校の演劇部顧問で、思いを寄せていた葉山先生から電話がかかってきた。泉はトキメキと共に、卒業前のある出来事を思い出す。後輩の舞台に客演を頼まれた彼女は先生への思いを再認識する。そして彼の中にも消せない炎がまぎれもなくあることを知った泉は――。

島本理生, 「ナラタージュ」, 2005, 角川書店, 裏表紙のあらすじ より引用

▶Hinata's review ★★★★★ ( 5/5 )

 読了後に最初に出てきたのは小さなため息。これまでに読んできた恋愛小説の中でもとりわけ重くのしかかる何かがありました.
 主人公の泉、葉山先生、そして小野君によって構成される三角関係がもたらす様々な出来事と、泉の母校の演劇部に所属する柚子ちゃんの葛藤や衝撃の展開、そして数年後を描いたラストシーン―泉視点で展開していく物語はその末端に至るまで情景描写が大変丁寧でした. 場面想像が容易であるがゆえに、泉に対する感情移入が深すぎて最後の方は胸が苦しくて涙こらえるのに必死で. 電車で泣けないぞと思いすっごく耐えた記憶がまだ新しいです…大学2年生という設定が同じだったこともあり、泉を取り巻く登場人物や光景もなんだかやけにリアルに捉えることができてしまい、久しぶりに本を読んで没入するという感覚を味わいました.

ナラタージュとは、

フランス語で主人公または語りてに回想形式で過去の出来事などを物語らせながら、急速に多くの小画面を連続させ構成するもの。

コトバンク, 精選版 日本国語大辞典,「ナラタージュ」, リンク より引用

という意味を持つ言葉であり、物語が演劇部で繰り広げられる場面や、泉が元演劇部員である点、そして情報量が多く、情景描写がリアルであるこの物語に、ピッタリのタイトルだと感じました。

以下、泉、葉山先生、小野君によって構成されている三角関係について思うことや、性的暴行描写について考えたことなどを好き勝手書きなぐっていきます。

◯葉山先生と泉について
 私自身、人生を変えてしまうような大恋愛をした経験はなく(まあ、ドラマチックな恋愛が世の中にあふれていたらきっと恋愛小説・映画は生まれないのですが^^)、一定こうした恋愛ストーリーを俯瞰してみてしまう傾向にあります. なんでこう動いてまうねん!とか、いやーさすがにあほすぎるやろ、とか心の中でツッコミをいれて読んでしまうんですね. しかし、この物語に関しては、自己投影が顕著であったがゆえにツッコむどころか自分も泉同様に動き出してしまうのではないかと思わされるものでした. また、葉山先生の大人ゆえの逃げ方の上手さや泉に対する保護姿勢のバランスがとんでもなく素晴らしく、私まで沼ってしまいそうでした. 先生ってポジションって届きそうで届かない永遠の憧れ感、ありますよね. 学生時代、推しの先生がいた私にはたまりませんでした.
 ただし、学生時代の青春の1ページというには葉山先生や泉の間に生じた愛は重く、ストレートな好き!愛してる!と互いに言い合えるカタチではありません.そもそもの2人の出会いが生まれた起点にあるのもいじめという暗い事象でした. また、葉山先生のパートナーとお母さんとの間に生じた問題によって葉山先生が自己嫌悪に陥ったことが自分に絶対的な信頼を寄せる
泉への一種の依存感覚を生み出したところにも暗さが見いだせます. 互いに自身の抱える闇の部分を社会科準備室における2人だけのコミュニケーションにおいて共有し、それぞれ相手には自分しかいないという感情を抱くことにより、彼らなりの愛が形成されたのだと思います. 自分を救ってくれて、居場所を与えてくれた"先生"のポジションにある人が暗い過去を抱えていて、それを自分だけに話してくれることって生徒側からしたらとんでもなくうれしいし、多感な時期の高校生でそれを経験したら好きになるし簡単に忘れられないよなあと思います. 人としての魅力はなにかしら弱みを見せる瞬間に最大化するんだろうなと実感しました.
 最後、互いに愛を確かめ合ってお別れした懐中時計をキーに職場の方と結婚することとなる泉が、いつか葉山先生が泉に話していたカメラマンの友人によって葉山先生が泉を愛していたと感じたことを伝えられ、涙するシーンが大変胸がキューンと締め付けられました. 一緒になれないことを頭ではわかっていても、互いに一生この先もふとした時に思い出す、そして相手を想って空の遠くを見つめる、そんな存在であり続けるのだろうなと思いました.

◯小野君と泉について
 小野君、、君は本当に若い!の一言に尽きます.
 泉との関係性については、自分が日常生活において触れる恋愛関係に一番近いものであったため、出会いはじめや付き合いはじめの頃は大変共感しやすくみることができました. 特に、出会った初日に二人で買い出しにいったときのシーンは大変キュンキュンさせていただきました. また、2人で小野君の長野の実家に行った際には、さわさわと風の音が聞こえてくるような夜に二人だけの世界が広がっているような情景が浮かんできたので、めっちゃ憧れ~ときゃぴきゃぴしてしまうようなシーンでした. 葉山先生への思いが遂げられないことが圧倒的に分かっている泉にとって、そんな the 恋の矢印を向けてくれる小野君に一定惹かれる泉の気持ちはとってもよくわかるな~~の気持ちでした.
 でも、泉が抱える葉山先生への気持ちは深く、重すぎるものでした.そんな泉に気付いていたし、むしろ小野君はだからこそ泉に惹かれていた部分もあったんじゃないかなと思います. 自分に振り向かないひとに対して恋心が増幅するっていうのは特に男性だと顕著に表れる現象だとどこかで読んだことがあるんです.でも小野君、惜しいよ~、君のその気持ちの表現が泉を離れさせてしまっているよ~~と悔しい気持ちでいっぱい. でもそれが若さゆえ何だろうな~と思い、序盤の君は本当に若い!の一言が生じたわけです.
 泉のことを全部知りたくて、全部共有したくて、でもできない、、だから強く縛り付けてしまう、、そんな小野君に同情する気持ちもあり、でもアプローチとしては最悪の選択をしてしまっている小野君を責めてしまう自分もいました. 今回ツッコミをいれるのが一番多かったのは圧倒的小野君だったなあと今振り返ってみると思います.
 お別れの瞬間も切ないものであり、別の世界線であれば2人はきっと結ばれたのかなあと思ってしまいました.うん、小野君きっといい出会いがあるよってすごーく伝えたいです. そりゃあ葉山先生には勝てへんよ、、ほんとに小野君みたいな人がいたらめちゃめちゃモテそうだなあと思うんです.音楽の話をサラッとたくさんしてくれるのもよい…自分の知らない世界を教えてくれる存在ほんとに好きになっちゃうタイプなので歓喜でした. 泉の好きな映画も教えてよ、と聞いてくれる姿勢もよい. ちゃんと泉が好きって態度が純粋に見えていたころの小野君をそのまま受け入れてくれる女性であれば本当にきれいな恋愛ができたんだろうなと思います.
 

◯性的暴行について
 全体的な傾向として、「性的暴行」についての問題提起がなされているのもこの物語の1つの特徴かなと思い、書き留めておきたくなりました. 主に取り上げるのは「小野君の泉に対する性的暴行」と「柚子ちゃんが受けた他人からの性的暴行」です. 私自身、大学でジェンダー論を受講する中で、デートDVのトピックが取り上げられたことがあったため、「性的暴行」の描写に着目しました.

「小野君の泉に対する性的暴行」
 小野君が泉に対して葉山先生の存在を上回らなくては…という一種の焦燥感からコンドームをつけずにセックスを強要する描写がありました. 力による強圧的な性行為は、愛を主軸に置いているとしても、相手がそれを理解し、受け入れたいと思えるものでなければ、ただの独りよがりにすぎません. また、こうした性的行為は泉が、自身の身体がプラスチックのように思えた、と語っているように、相手の心も体も傷つけるものだと思います. さらに、こうした身体的な支配は2人の関係の中で自分の意見を正直に言えなくなってしまう側面をも持ち合わせていることも表現されていました.

「柚子ちゃんが受けた他人からの性的暴行」
 このトピックはこの物語の展開を1つ大きく揺るがすものでした. こうした日常に潜む性的被害、被害者にとって、この日本社会ではあまりにも言いづらすぎるものであるがゆえに柚子ちゃんのような少女が生まれてしまったのだろうと考えました. 信頼しているからこそ言えないし、言われた側もどう対応すればよいのかわからない、そんな現実的な問題についても提起している点に社会派的な側面を見出しました.

 やっぱり時代の変遷に伴って、性的なトピックを話の中で取り上げることがタブー視される傾向は弱まりつつありますが、男女問わず、それこそジャニー喜多川氏のスキャンダルがずっと隠蔽されてきた要因にもあったように、依然として残っているなあと感じます. 私の家族は性的な話題も割とオープンに話せるタイプなので、例えば痴漢の被害にあったときなんかはすぐに話すことができたし、仮に性的暴行に遭った際にも話せるだろうと思います. しかしながら、友人の家族との話を聞くと、そんなこと話すわけないじゃん!と返ってくる率がとっても高いので、ああ、まだまだタブー視する価値観は結構浸透しているんだろうなあと感じます. 家族に話せなくとも例えば友人だったり、先生だったり、先輩だったり、とにかく誰かには話せるぞという環境がすべての人にあるような社会であってくれと思うばかりです.
 また、この物語でもそうだったように、性的被害に遭うのが女性というのも一種ステレオタイプ的な見方になってしまっていないかという点にはこれからも注意しておかなきゃなあと思いました. 男性でも性的暴行、被害を受けている人は存在するし、むしろ男性の方が言えないパターンが多いと思います. ほんとに様々な観点に気を配ることが求められる複雑な時代に生きている私たちで、時に過剰に反応してしまう事象があったりもしますが、変わるべきところは変わる必要性があると考えています. 
 

◯最後に
 今回は島本理生さんの「ナラタージュ」について好き勝手に綴ることができて、自分なりの思考の整理にもつながった気がします. 初めてこうして本について自身の見解を細かく形に残るように述べる経験がなかったので、読みにくかったり、不適切な表現等ありましたらぜひFBいただけたらとっても嬉しいです: ) 

次は最近見たNETFLIXの「THE BOYFRIEND」というシリーズについてのメモ書きを残せたらいいなと思います✎…
See u next time~~!

p.s.
もし今回のreviewを踏まえて読んでみたいなあと思ってくださったアナタは以下のURLからぜひ^^

・「ナラタージュ」, Amazon ( Kindle/ 文庫本 ver.)・


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