地方創生における、そもそも論
先日、地元に取引先が来たので久しぶりに飲み交わした。
相手の仕事は地方創生関連。単純に楽しく、有意義な時間であった。
そこで印象的だったのが、相手の熱量・知識量が地方の、自分が属しているコミュニティ内のものを遥かにに超えていたことだ。
自分でいうのも何だが、おそらく自分は地方の若造の中では地方の課題についてnoteやらvoicyやら「新しい」仕組みを取り入れつつ、日頃から勉強している方で、かつ、それらで実践できるものは可能な限り手を出しており、それが故に地元のコミュニティの中では、アイディアマンやら、知識人といった扱いを受けることがある。
ただ今回、自分は彼らの熱量・知識量に全然ついて行けなかった。ぶっちゃけ用語そのものを知らなかったので、「ふんふん」と適当な相槌になってしまった場面もあったくらいだ。
我ながら少々情けないが、これがまさに地方創生のそもそもの課題であるように感じた。つまり、有効なサービスはあっても、地方にその担い手がいないのである。
都心の人々は日本の、つまり地方の課題を解決しようと真剣に考え、実際に手を動かしている。ただ、都心の人が動くのみでは地方は一向に改善しない。なぜなら、都心が有効なサービスを開発してくれても、実際に地方で回す存在がなければ、地方は活性化しようがないからだ。
都心の熱量を受け止めきれる地域人がいない。まったくいないわけではないだろうが、少ない。これが地方創生がボヤっとしている根本的原因ではなかろうか。
おそらく自分レベルの社会人は都心に掃いて捨てるほどいるのだろう。悩んでいることを伝えるとこれまでにない、ドライでシンプルで具体的なアイディアが返ってきた。
そう、ドライでシンプルで「具体的」なのだ。これまでになかった具体性を帯びたそれからは社会人としての経験の深さが垣間見える。
とにかく都心の地方創生に携わる人たちは真剣に地方のことを考えて、手を動かし、日々レベルアップしている。では地方に住む我々はどうだろうか。それなりに実践している人もいるかもしれないが、それは都心の彼らと比べると足元にも及ぼないかもしれない。
それは何とも情けない状態であると私は思う。自分のことは自分で何とかするのが人としての筋だ。地方から地方に携わる人間の一人として、改めて頑張らねばならないと反省した次第である。
時間:10分