正木ゆう子から鑑賞を学ぶ5

久しぶりに「正木ゆう子から鑑賞を学ぶ」をしよう。第何回かすら忘れてしまった。第五回らしい。することは『現代秀句 新・増補版』の正木ゆう子の鑑賞から鑑賞のなんたるかを学ぶことである。句の引用、私の感想、正木の鑑賞、感想の変容という順番で進めていく。

柩出るとき風景に橋かかる

橋閒石

正直よくわからない。正木に学ぼう。今回は全文引用しよう。

『風景』(昭和三八年)所収。生者から見て死者の世界が幻のように思えるのなら、死者から見た生者の世界もまた幻のようであることだろう。では掲句の世界はどちらなのか、というと、ちょうど境目辺りはこんな風景なのではないかと思える句である。
だからこの橋も、柩出しのときに、死者のために虹のように架かる彼の世への橋とも解釈できるし、また柩を運ぶ一族が渡る現実の橋と受け取ることもできる。生者から見れば、彼の世へ渡る橋が幻なのであり、死者から見れば現実の橋がすでに幻なのである。
どちらとも取れる惑わしは閒石の句の特徴で、読み手はどちらの世界に遊んでもいいが、私はといえば、あえてこの橋を現実に川に架かる橋と解釈したい。
もちろん現実の橋は架かっていたり、架かっていなかったりするものではない。しかし俳句の中ではどんなことだって起こりうる。人の渡らないときには橋は存在しないのだといっても一向に構わないのである。橋は人がそこへさしかかろうとするときにだけ、風景に架かるのだ。「柩出るとき」と「風景に橋かかる」のふたつのフレーズの棒のような抑揚のなさと、風景というおよそ近所の眺めには使わない言葉も、人の死のもたらす非現実感を強調している。柩もまた死者が完璧な死者になるための橋渡しのようなものであろうか。

10頁

正直、やっぱりよくわからない。私は多分、よくわからなくて、「正木ゆう子から鑑賞を学ぶ」シリーズを中断していた、再開していなかったのである。よくわからないから拗ねて、あとがきとかを読んでいると次のようなことが書かれていた。少し長いが引用したい。(ちなみになぜか知らないが頁数が書かれていないので頁数は書かない。「初版後記」を読みさえすればわかるはずである。)

愛唱することと、鑑賞を書くこととの間には、たとえば一個の林檎を眺めることと、食べることほどの違いがある。書きながら、どんどん一句の世界へ引き込まれてゆく喜びを、この一年の間、何度味わったことだろう。優れた句は、一句の中に実世界と同様の奥行きを持って、どこまでも鑑賞者の侵入を受け入れてくれる。
それは一つの俳句に、自分を投影することでもある。鑑賞は、私の鑑賞であって、読者が受ける印象とは違っているかもしれない。それもまた楽しいこととしたい。
ひとつの例として、本書の担当編集者佐藤行子さんとの間にも面白いやりとりがあった。
柩出るとき風景に橋かかる 橋閒石
という句についてである。
佐藤さんは橋閒石の句にとても引かれたらしかったが、この句については正木さんと受け取り方が違いましたと言う。この項を読んでいただくとわかるように、私は「橋」を現実に川に架かる橋として、それが幻のように不確かなものとして描かれているのだと書いている。ところが佐藤さんは、柩そのものが橋なのではないかと言うのだ。
比喩的には私も、柩をこの世とあの世とに架かる橋のようなものだと書いているが、佐藤さんはもっと視覚的に、家の外に出た柩を、風景に架かる橋と見たのである。
私は目からうろこが落ちる思いであった。もしかして自分だけがこの句をそういうふうに読まなかったのかもしれないと思い、念のため橋聞石の弟子である友人に聞いてみたが、友人の読みも私と同じであり、佐藤さんのようには読んでいなかったという。そして友人もまた、佐藤さんの鑑賞が最も作者の意図に叶っているのではないかと言うのである。
私はその項を書き直そうかと思ったが止めた。こうして後記に書けばよい。俳句に間違った鑑賞などめったにないのだから、最初に書いた鑑賞はそれでいい。それより編集者が直感的に感じたことが、聞石の弟子よりも私のような長年のファンよりも鋭く、一句を読み解くという事実に、俳句という文芸の豊かさを思ったのである。

しかし、これも正直わからなかった。よくわからないなあ、と思いつつ放置しているなかでゆる民俗学ラジオというポッドキャストの#109と#110、「親指を隠す俗信」についての回で霊柩車の話、そして霊柩車の前の葬列についての話があった。正直ぼんやりとしか覚えていないのだが、私はたぶん「柩出る」がよくわかっていない。

はじめ、私は「正直よくわからない。」と言った。そしてなんとか「正木から学ぼう」としてきた。しかし、なんだかリアリティがなく、暖簾に腕押し、という感じがずっとしていた。ただ、「よくわからない」というのは別にゼロであるということではない。ゼロではないがそれがイチになりきることもなく浮遊している、そんなことをここでは「よくわからない」と言っているのだ。まあこれも、ここまで引用してきた文章を読んだからわかったことではある。「学ぶ」というのはAをAとして教えられるということではなく、Aを教えられることでAではなくBがわかったということでもあるのだ。

私は「柩出るとき」で一つの塊だと思った。なんというか、葬儀場でもなんでもいいが、屋内から屋外に棺が出る、その瞬間のことを言っていると思っていた。「とき」をかなり強く取ったわけである。しかし、「風景に橋かかる」というのはそれ自体変な言い方だし、私は言うなれば「棺」のなかにいるか、それともそこの近くで一緒に動いているか、そんなことをしていたのに、「風景に橋かかる」というよくわからないところに連れて行かれたのである。「風景に橋かかる」が変なのは、普通「橋」が「かかる」のはXからYへ、もしくはXとYという二つのところがあって成り立つものである。しかし、「風景」はそれら、XというところとYというところをすでに包み込んでしまっている。だから、それを強く取るなら正木で言うところの「生者」の世界と「死者」の世界という見方が生まれるのだろう。しかし、それは相当変な見方であると私は思う。「佐藤さん」の鑑賞も、「柩≒橋」という鑑賞も「かかる」がそれだとよくわからない。し、そもそも二人とも「とき」をどう考えているのかがよくわからない。というか、「とき」を瞬間だと考えないと「柩出る」がよくわからないし、ある程度幅のある儀式全体を「とき」として考えるのだとすれば「風景」がよくわからない。別に「どちらとも取れる惑わし」があってもいいとは思うが、それはどこかで一時的にでも構築されるものがなくてはならないと思う。私にはこの句が「一句の中に実世界と同様の奥行きを持って、どこまでも鑑賞者の侵入を受け入れてくれる。」感じがしなかった。だからかもしれない。私は正直、この句を秀でた句だとは思わなかった。

別に言い訳ではないが、私がこのシリーズを再開できた一つの理由に飯田龍太が次のように述べていたことが後押しになったということがある。

俳句入門三十三講と称し、その折そのときの感想を輯めたこの一集は、顧みてお恥ずかしい限りの内容にちがいありませんが、ただ私としては、いついかなる場合にも、こと俳句に関する限り、わが身を偽らず、正直に感想を述べること、この一事だけは外すまい、とこころがけてきたつもりです。その一端でも汲みとっていただければこんなうれしいことはありません。

『俳句入門三十三講』(講談社学術文庫)16頁

無駄に突っ張ることはないが、突っ張ることも大切なのだと思う。「学ぶ」ことはスポンジになることであるとしてもそのスポンジのうちに抵抗するところがなければどんな豊穣さも吸収することはできないのである。

推敲中、いくつか繋げられそうなことはあったが、今回は不問にしておこう。それが大事な気がする。今回は。繋げて理解しているみたいにしてはいけないと思ったのだ。

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