夢の話とか?
バスがたくさん停まっている。廻っている。バスターミナル。私は忘れてしまった。どれかのバスに。試合のユニフォームを。いや、それが入ったカバンを。リュックサックを。
私は夢を見ていた。やけに見るのだ。サッカーをしていたときの夢を。特に最近。私の夢は最近、こういう、忘れもの物、と呼べるような夢ばかりである。
夢の意味、調べることができる。私の恋人はよくそれを調べている。ただ、恋人の夢はやけに現実的らしく、その意味するところが予想と大して違わないらしい。
私はよくわからないからわざわざ、異様なバスターミナルを作ってしまった。ところもあると思う。夢なんて曖昧なのだから。
夢では音が聞こえない。色も見えない。これは人によるだろうけれど、私には音も色もない。ただ白黒で無音で、まるで駅の中、都会の駅の中で一人でいるみたいだ。スローモーションなのか早送りなのか、そういうよくわからない映像はこの感じから作られているのだろう。そんな気がするような無音と無色。
というか、実は音とか色とか、そういうことは意識さえされていない。夢がそうであるように。思えば、私が書くもの、小説のようなものは色があまりない。極度に抽象的、比喩的な色はあるが、それ以外の色はない。私は何について書いているのだろうか。
私の過去の作品は割と面白い。それは過去の俳句が極めてつまらないことと極めて対照的である。
すごく大きな人が、その親指が、空を拭っている。唇を拭うみたいに。その痕跡としての鰯雲。
これは最近得た、とても素敵なイメージである。私は見た。そして思った。この鰯雲は拭ったときの波みたいな痕跡に似ている、と。「波みたい」はここで初めて言った。私はもっと適当に「黒板にチョークをガガガガってする感じ。」と言った。Sさんに。
Sさんもたくさんいる。そのSさんの肩で寝たふりをした。温泉施設に行った後。「子どもじゃん。」と言い合うSさんとTさんの声を聞きつつ、私は寝たふりをしている快楽を感じていた。さすがに頭は撫でなかったSさんは。
ふと目が覚めると、電車はまだ揺れています。都心を走っているときと、雑木林の残る自宅近くを走っているときでは、音の響き方が違うので、外を見なくてもだいたいどのくらいの地点を走っているかが分かります。まだまだ目的地までは遠い……。音からそう感じ取って、このまま目が覚めては大変だと、必死に眠気にすがりつこうとします。
と、そのとき、母の手が私の体をそっとなでていることに気づきます。それが背中だったのか、頭だったのか、今となっては覚えていないのですが、そのさわり方がどうもふだんとは違うのでした。
母とはよくいろいろな話をしましたが、基本的には子供の好奇心や自立心を大切にするタイプで、ベタベタと甘えるような関係ではありませんでした。それは母個人の教育方針というより、当時としては当たり前の距離感だったようにも思います。「抱き癖がつく」という言い方があって、子供が泣いてもすぐに抱っこしない方がいいという考え方がまだ残っていました。
なので、たとえば風邪をひいてお風呂に入れず、熱いタオルで体を拭いてもらうようなときであっても、拭き方はどちらかというと「ゴシゴシ」という感じでした。病気の私をいたわるというより、汚れをきちんと落とすことに主眼がある、情より科学が勝ったような拭き方だったのです。
ところが、電車の中で感じた母の手は、ほとんど無意識的な、柔らかいさわり心地をひたすら味わうような動き方をしていました。「汚れを落とす」とか「薬を塗る」とかいった目的から解放された、純粋にさわることを楽しんでいる手。私にとって大きな喜びだったのは、母が母自身の快楽のために自分をなでているように感じられたことでした。お母さんにとって、自分はさわりたくなる存在なんだ!その動きが無意識的であればあるほど、母の手は自分という存在をまるごと肯定してくれているような感じがしました。
私はそのときたぶん小学校低学年くらいで、本心ではまだまだ甘えたい年頃だったのかもしれません。ああ、ずっとずっとなでていてほしいな。夢か現かのぼんやりとした頭で、私は必死に祈っていました。
そのために私ができることはただ一つ、「寝たフリ」をすることです。母の手の動きは無意識的なものなので、私が目を覚ましたら、きっといつもの距離のある関係に戻ってしまうことでしょう。母に気づかれないように息を殺し、目をつむってじっとさわられるがままになっていました。この子は寝ているこの子は寝ているこの子は寝ている……。そんなふうにして幼い私は、私の知らない母の一面に「盗みさわられ」ていたのでした。
『手の倫理』210-211頁
私はむしろ逆で、SさんやTさんと近くなりすぎたので、しかし離れすぎると寂しいので「寝たフリ」をしていたのです。おそらく。当然ですが寝ていないので夢は見ませんでした。