日本人のアイデンティティ思想
ギドラ ブッダ 雷ペイジャー
俺が狂ったのは奴らのせいさ
<中略>
Youtube Myspace 2ちゃんにMixi
俺が狂った最低のMC
これは、日本語ラップ界の変換点になった般若の「最低のMC」という曲の歌詞の一部分であるが、日本人のアイデンティティ形成についてこれ以上に明察な視線を僕は知らない。
このままそっくりの順番で日本人はアイデンティティを形成する。
ギドラ ブッダ 雷ペイジャー
これらは変換点以前の巨匠たちである。
それらを羅列することから日本人のアイデンティティは形成されるのである。
日本人は標準を設定しそれに追いつくように自らのアイデンティティを駆り立てる。
それは、中国の制度を倣って日本の制度を形成したことからもわかる。
日本人のアイデンティティの最初に理想はこない。日本人以外のアイデンティティを利用するのだ。
俺が狂ったのは奴らのせいさ
アイデンティティには狂いが必要だ。
なぜなら、アイデンティティは自分にありながら、自分にはないという仕方で存在するからだ。
狂っているというのは、社会の常識に反しているから狂っているのではない。狂っているのがその人でありながら、その狂いがその人の内面にないという状態が狂っているということなのだ。
この段階において、アイデンティティは感傷的で自己猶予的である。
それは、羅列から染み込むまでがあまりに早くなってしまうと、それ自体がアイデンティティとして構造化されてしまうとの恐れからであろう。
変わることを求めつつ、変わらないことを求めるというアイデンティティの基本構造への配慮がこの感傷なのである。
<中略>
この段階ににあってはいけないことはただの一つだけである。
死ぬことである。アイデンティティが死ぬことである。
それは上に述べたようなあまりにはやい変わり身である。日本人のアイデンティティは変わり身がはやいが、ここでまた新たに羅列が始まると永遠にアイデンティティは感傷で終わってしまう。
だから、ここでは死なないことだけがただ唯一の責務である。
Youtube Myspace 2ちゃんにMixi
これは二度目の羅列である。
しかし、先の羅列が影響を受けたものの羅列であったのに対し、ここでの羅列は影響を及ぼすものの羅列である。少し裾野が広がっている。
受動的な羅列から、受動的にも能動的にも反転できる羅列に変化したのだ。
この変化はアイデンティティの確立に大きな影響を及ぼしている。この影響を与えられるという資格こそアイデンティティの発現に不可欠なのだ。
俺が狂った最低のMC
そして、日本式アイデンティティの最大の特徴であるアイデンティティの確認が行われる。
僕たちのアイデンティティは、まだ〇〇していないものと、○○したものという形で確認される。
それは別に日本式というほどの特徴ではない。という人がいるかもしれないが、日本人のアイデンティティは、この確認への信頼が非常に大きい。日本人以外はそれこそ本当に確認するだけだが、日本人はここで初めて自覚的にアイデンティティを持つようになる。
日本式アイデンティティの最大の特徴はその受動性と確認への信頼からなっている。
アイデンティティが変わるときはその受動性の働く場所が変わるだけで、その受動性と確認への信頼が変わらない。
そういう形としてのアイデンティティこそ日本式アイデンティティの核となる思想なのだ。