「男女の間に友情は成立するか」についての所感

この頃(と言っても今日だが)「男女の間に友情は成立するか」ということについて考えている。なかなかうまくまとまらない(まあ、まとまらないのはいつものことだ。まとめる力がないのだ。うまく構成する力も。)のでただ単に思ったことを大体の区切りで書こうと思う。特に記号は決めていなかったが、とりあえず1と書いて、それに続いていそうだったら1-2と書こう。続いているわけではなさそうだったら2と書こう。そんな感じでいく。特に何も決まっていない。途中で変わるかもしれない。では行こう。思ったことを言っていくだけである。

1
「成立するか」という問い方は「成立する/成立しない」のどちらに君は立つかという問い方なのだろうか。そうだとするならば、私は「成立する」とは何かが気になる。

1-2
仮に「成立する」が「男女の間」で「友情」だと見なされるような行為が起こり続けることだとするならば、そしてそれが今後一切変わらないことだとするならば、私は「友情」とは何か、が気になる。

0
これは考察には関係ないが、当初イメージしていた感じにはならなさそうである。端的に言えば、2が出てこなさそうである。まあ、出てくるかもしれないが。だから冒頭で書いたことは忘れてもらうのがいいかもしれない。

1-3
ここでの「友情」はおそらく「恋愛感情」と対比されているであろう。しかし、「恋愛感情」も「友情」の延長線にあると、もしくは、「恋愛感情」は「友情」が限定されたものであると考えることができるのではないだろうか。

1-3-2
「恋愛感情」が「友情」の延長線であると考える場合、「成立する/成立しない」は「延長線である/延長線でない」によって決まるようなものになる、のかもしれない。

1-3-3
「恋愛感情」は「友情」が限定されたものであると考える場合、「成立する/成立しない」は「男女」の間における「友情」の発展と限定が同じであると考えるかそうでないと考えるかによって決まるようなものになる、のかもしれない。

0-2
数字を消したい。考えるのが面倒だから、ここまでとの接続を。消す。というか、なにも考えずに段落番号としてだけ考える。ウィトゲンシュタインもこんな気持ちになっていたのだろうか。まああれはどちらかと言えば編集か。ここまでのやつに()で数字を足したいが我慢しよう。2からはじめる。

2
同性同士だったら「友情は成立する」のだろうか。

3
「友情」が「成立する」というのはどういうことなのだろうか。「成立する」というのはある条件を満たしたら「友情」がそれとして認められるということなのだろうか。認められない場合、それは何になるのだろうか。無関係ということはあり得ない(無関係ならわざわざ云々する必要がないから。もしくは「無関係」とは云々できないことだと思われるから。)から、「恋愛感情」ということになるのだろうか。

4
「情」というのは行為の後に回顧的に作られるもの(別に行為に先んじて存在していないわけではない。行為に先んじて存在するものとして作られるのである。これについては『行為の哲学入門』を読むといい。私も読み直す必要がありそうだ。私の議論は結構この本に影響を受けていると思うので。)だから、「成立する」とはそもそも組み合わせにくそうな感じがする。

5
「男女の間」という表現が気になる。この表現によって関係論的な傾きが強くなっているように思う。例えば「男女の友情はありえるか」だとだいぶ違った印象になる。私はなぜか「男女の間に友情は成立するか」という形でずっと考えていた節がある。

6
仮に「男女の友情がありえない」(とりあえず「男女の間に友情は成立するか」ではなく「男女の友情はありえるか」で考えてみている)のだとすれば、「男女の友情」に見えている関係は「見えている」に過ぎないものになるということだろうか。いや、そんなラディカルな感じではなく、「いまはそうなだけ」みたいな感じになるだろう。だとしたら、関係は(スクラップアンドビルドは言い過ぎだとしても)変わっていくものだから、その変化と何が違うのかが私はよくわからない。

7
このこと、「男女の友情はありえるか」が主題になるのはどのようなときだろうか。それはおそらく、私の知る限り、大抵は女の人が男の人を友達だと思っていたのに男の人はそうではなく女の人を性的な存在だと思っていたもしくはそのように思っていると思われても仕方ない行動を取ってきた、みたいなときが多いと思う。このような傾きが私の偏見なのか、そうではないとしたらなぜこのような傾きがあるのか、それも興味深いが、それよりも私は1-3-3で書いたようなことが気になる。

8
ここまでしてきた指摘のなかで私は1-3-3の「「恋愛感情」は「友情」が限定されたものであると考える場合、「成立する/成立しない」は「男女」の間における「友情」の発展と限定が同じであるかそうでないかによって決まるようなものになる、のかもしれない。」というのが一番面白い指摘だと思っている。ただ、少しごちゃごちゃしているかもしれない。

9
「発展」の他にも「深化」を考えていた。1-3-3を書くときに。「限定」と何にしようかな、と考えていた。「発展」は「深化」と「限定」を兼ねているのかもしれない。狭く、そして性的な方向に進んでいく、みたいなことは面白いテーマだと思う。欲望は狭いところでしか存在しない、みたいな千葉雅也的テーゼ(私はこれを『アメリカ紀行』で読んだ。引用はしない。長くなるし他人の文章は触発力が強すぎるときがあるから。やはり少し前の文章を読んで書いている部分が強いのである。少なくとも私は。)と欲望をすべて性的なものにする必要はあるのか、みたいな疑問がある。いまのところ。

10
なんか、最後、ハッピーエンドが「結婚」になりがち(まあ、最近はたぶんそうでもない。あんまり知らないからなにも言えない。というか、「最近」と括れないくらいに多様化しているとも言えるかもしれない。)みたいな問題にも近いっちゃあ近いと思う。

11
私は他人によく「好き」と言う。男女問わず。それは「恋愛感情」的に解釈されがちであるし、私もそう解釈されないか怯えているときがある。

12
個人的には「恋愛」も自分の変化の強度を上げる一つのゲーム、と言ったらつまらないし露悪的すぎるけれど、機会だと思っていて、自分のある側面が強調されるのが「恋愛」なのだろうと思っている。

うーん、言えそうなことはまだまだあるけれど、とりあえず言っておきたいことはこれくらいだと思う。あとはどこを強調して、なにをスピットしていくかだけだと思う。みなさんも面白そうだと思ったところを考えていってください。興味がなかったらスルーしてください。まあ、言わなくてもすると思いますけど。では。

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