第一回 人間を知ろう!
人物評をひたすら書こう。
いい企画だと思ったのだが、今日は散髪に行かなくてはならないのでとりあえず散髪屋に行こう。ちなみにその散髪屋は予約ができないらしいので仕方ない、散髪屋に行こう。
さて、散髪屋に行ってお昼ご飯を食べた。眠たい。が、しようと思ったのでしよう。別にしようと思ったからと言ってしなくてはならないことはないが。ただ、お昼寝バイブスがバイブスに留まり切れるかはわからない。
どういう方式でしようか。まあ、名前はTHみたいな感じでいいのだが、どういう順番でしようか。まあ、あれだ、志賀直哉が芥川龍之介について書いた文章のように長く、そして文学的に書くつもりはない。ただ、この「人物評をひたすら書く」には私の「人間」観のようなものが現れるのではないかと思う。そしてそこからもしかすると私の「人間」性を見出すことができるかもしれない。そういうことを目指して、さりとて軽く、書いていこう。
いや、眠すぎる。
一旦寝るか。
ほとんど夢のなかに居たとき、郵便物が来た。
TH
とても人間愛が強い人である。その強さに私は不思議を感じて、それゆえに良くない過去があったのではないか、と思ったことがある。実際に中学校のときはうまくいかないこともあったらしい。ただ、それは周りの人間が未熟だったからなのではないか、と思わされるような強さがある。たまにその強さに自分で耐えられなくなっているような時もある気がするが、それすらも強さを感じさせる一因になるような人である。
また、極めて独特の世界観を持っている。それを表現することは少ないが、たまに話していてそれを教えてくれるときがある。私はそれを聞いて、天然の哲学徒というのはこういう人のことを言うのだな、と思った。ただ、長く(と言っても三年ほどだが。)付き合ってみて、哲学徒というよりはむしろアーティストに近い感じをいまは持っている。ただ、哲学徒の面もあって、私と哲学の話をしてくれる数少ない友人である。
SH
とても愛嬌のある人である。しかし、それは媚びているようでも隙があるようでもない。ただ単に愛嬌のある、不思議な人である。いろいろな面を持っているように私には見えるが、それがなんというか、極めてシームレスに入れ替わる、不思議な人柄を持っている。キラキラ煌めくような多面性ではないし、コロコロ変わるような多面性でもない、そういう不思議な多面性を持っている。
また、THと同じで人間愛がとても強い。ただ、その強さは充溢を感じさせるような強さである。誰にでも降り注ぐような強さである。愛である。愛である。ただ、もしかすると根本では人間というものにつまらなさを感じているのかもしれない。これはとてもなんとなくだが、そんな感じがする。私はそこに共鳴しているときがごくまれにあるのだが、あれがなんなのかは難しいところである。
TH
とても掴み所のない人である。いつも本当か嘘かわからないことを言っている。しかしそれは別に人を騙そうということではなく、おそらくただ単にそういう曖昧な態度を好んでいるだけである。ただ、人を唆すのがうまいので一歩間違えれば詐欺師になりそうな人間である。もしかしたらもうそうなのかもしれない。ただ、かなり長い(十年くらい)付き合いなのにどういう仕事をしているか知らないのでわからない。
いつも私のことを変な人だと言ってくるが、それを半分キャラ化して言っているので実は私がたいして変ではないことに気がついているのかもしれない。ただ、本人が変な人なので「たいして変ではない」と言われるほうがおかしい可能性もある。
NA
とても考える人である。なんというか、いまだによくわかっていないのだが、信念が強くある人であると思う。たぶん。このように曖昧な評なのは、特に信念を主張することはないにもかかわらずなぜか信念を感じさせる、不思議な人だからである。いつも少し眠たそうなところが、アンニュイなのかもしれない。
ある日、とても話し込むことがあって、それも生きている意味についての話だったのでこういう印象があるのかもしれない。なんというか、別に死にそうな感じはなかったし、死にそうな感じはなかったのに……みたいな感じもなかったので、私が勝手にそう思っているだけかもしれない。ただ、考える人であるのは間違いないと思う。急に居なくなっちゃいそうな感じが薄くある。
SN
まっすぐな人である。私が「これから生きていけるかな。」みたいな話をして、「生きていけんかったら死ぬわ!」と明るく言ったら真剣な顔をして、「死ぬんやったら死ぬ気で止めるで。」と言った、まっすぐな人である。面倒くせえなあとも思わずまっすぐ手を差し伸べる勇気のある人である。
また、いつも一緒におちゃらけてくれて、抜けているところがあって、後輩にファンが居るくらい魅力的な人である。あるとき夢で、切り立つ壁のような岩の上で、ネックレスのようなものをもらった夢を見たことがある。その夢をいまでもたまに思い出す。測りかねて。しかし測ろうとはして。
SA
普通の人である。人物評で「普通の人である」と書くのは変かもしれないが、ここまであげたなかで言うとダントツで普通の人である。ただ、「普通の人である」のがうまいだけでその奥にはカラッとした、しかし蜜のような人間性がたぷんたぷんしていて、その意味で「普通の人である。」というのは前フリみたいなものである。
私とSAの関係を周りの人が見たらおそらく結構親友っぽく見えると思うが、相手はどうか知らないが私は親友というよりはとても気の合う友人みたいに思っている。ある友人(次に紹介する人)に私とSAのコミュニケーションを「音の交換みたい。」と称されたことがあったが、あれは結構的確な評であったと思う。そのくらいコミュニケーションが意味から外れていて、その意味で私に「普通である。」を教えてくれる先生でもあるかもしれない。
TH
よくわからない人である。ここまで「人である」で始めてきたが、なんと言えば良いか、かなり難しいところがある。なんというか、動物のイメージで言えばハリネズミに近いように思われる。なんというか、結構人たらしなところもあれば、たらされているところもあるような人で、その意味でよくわからない人である。
この人の家でよくご飯を食べたりお酒を飲んだりした記憶があるが、そのたびにちょっかいをかけてくるような人である。その様子はなんというか、熱いお湯を触るような感じであった。しかも二人のときはそういうことをしないので、その意味でもよくわからない人である。
UE
男性的な人である。本人はおそらく女性なのだが、なんというか、極めて男性的なところのある人だと思う。そうかと思えば、女性的なところがあって、私も私の友人(ここまで挙げたなかで言うと直前のTH)も不思議な思いをすることがある。ただ、よく見るのは男性的なところである。
かつてミステリー小説を借りたことがあって、そのミステリーがとても面白かった記憶がある。なんだったか忘れてしまったが。また、真面目なのか不真面目なのかよくわからないところもあって、その意味ではいろいろな境界に居つつどちらかに肩入れしているような、そういう不思議な人である。
NY
あっけらかんとする人である。重要なのは「あっけらかんとしている」のではなく「あっけらかんとする」人であるというところである。この人に関わる大体の人のイメージは「あっけらかん」が多いと思うのだが、私はたまに、たまにだが繊細に感じるところがあって、そこで(当たり前のことかもしれないが)人はいろいろな面があるという当たり前のことを知る、そんな人である。結構気が合う。
ちなみに私がよく書く「つまさきで地球を指す人」または「つまさきで地球に円を描く人」というイメージはこの人をモチーフにしている。別にこの人がそれをしていたわけではないが、この人が醸し出す、なんとも言えない繊細さが、おそらくは星新一のある短編と被ってそのようなイメージがなされたのだと思う。
MA
静謐な人である。単にもの静かなだけでなくそこに愉悦があるような、そんな人である。一歩一歩着実に、ちゃんと踏みしめる人である。おそらく。「おそらく」と言っているのは付き合い始めてまだ日が浅い(一年経たないくらい)からである。ただ、これからも一緒にいたい人である。
また、意外にも私のなんたらかんたらに付き合ってくれる人である。私がちょっかいをかけても応えてくれる。そういう優しさのある人である。「私は人見知りなの。」といっていたが「人見知り」とは実は私のような人のことを言うのではないか、と思うきっかけになった人でもある。
さて、今回はこれくらいにしようか。ちゃんとなぜか「第一回」と書いているし。人物評は難しい。途中エピソードになったり考察になったり、哲学に入り込んだり文学に入れ込んだり、そういう誘惑があった。し、それに乗ったところもある。この人たちに私の人物評を書いてもらうとすればどうなるのだろうか。ちなみにTHが結構被ってしまった。これは仕方ない。私はそれぞれを知っている。し、皆さんももしかしたらここから浮かべることができるかもしれない。それぞれの人を。
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