すこし遅い時間に出勤

「乾いていて温かい男性の手」かあ、すごいなあ。江國香織。

私は文学的な知識が乏しいのでこの人、江國香織が恋愛小説の名手であることを昨日、どこかのタイミングで知った。

『とるにたらないものもの』を読んでいると、私はモノ的なフェティシズムがない、というのは言い過ぎだが、少なくとも人工物(言語もおそらくそれに含まれる)に対して興味がないことに気がつく。

「水族館にタカアシガニを見てゐしはいつか誰かの子を生む器」(坂井修一)。昨日からこの歌のことを想っていた。

佐々木敦子の解説を読んでいる。私は私なりのフェティシズムがあるのかもしれない。

ただ、私はあんまり「樹木(と光)」のカップリング以外に特にこだわっていない。もちろんこだわりに気が付いていないのかもしれないが。「こだわり」はそもそも「偏り」なり「癖」なりを一つひねった、変換したものであるからないのだといえば本当にない。ただし江國が「こだわり」を書いていると言い切ることもできないような気持ちがする。

モノがそれであること自体は好きだ。しかし、それを美点を挙げて、そしてそれを見る私を微かに、半透明に見せることはできない。私には。

「呼吸を止めて一秒あなた真剣な目をしたから」と「あんまりソワソワしないであなたはいつでもキョロキョロ」が聞きたくなった。聞いた。

さて、Daichi Yamamotoの64barsを聴いてこのコーヒーの、甘くてミルキーなコーヒーの気分を乾いたものにしよう。私はいつも湿っぽいのかもしれない。5lackの『She Was』を先に聴こう。

ヒップホップっていうのは(少なくとも一部は)意味による回付と音韻による回付の関係の実戦なのである。その意味で極めて精神分析的である。

LIBROの64barsも聴きました。さて、仕事に行きましょう。

ちょっとだけ温いっすね。

「バイク的経験」と「#なんか見た」について考えようとしていたことを思い出した。バイクで通勤しているときに。前者は「バイクしか運転しない(できない)」ことから、後者は「なんか見た、もっと広く取ればなんか受容した以外に何か書くことはあり得るのか」ということから考えよう。とりあ

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