寝転びながら温まる
「先輩って結構な人たらしですよね。」と言われた。温泉施設、私は特別仲が良いわけではない後輩、むしろ付き合いの薄い後輩にそう言われた。
二人でお風呂に入っていた。お酒を飲んだから気を付けつつ、私たちはお風呂に入った。後輩はお酒を飲んでいなかったが。私たちは体を洗った。私は体を洗った。後輩の方(横にいたが仕切られていた。)を見ると、まだ頭を洗っていた。後輩はこちらを見てきた。私は言った。「ゆっくりでええで。」と。すると後輩は言った。「すみません。」と。私は言った。「いやいや、こちらこそ急かしてすまんな。」と。私は体を二周洗った。
なんてことのない温泉施設だった。私たちは中のお湯に入った。寝転べるお湯に入った。二人とも寝転んだ。髪の毛を微かに触れるお湯が妙に温かった。後輩は言った。「先輩って結構な人たらしですよね。」と。
私はなんというか、言われたことがなかったので少しびっくりしたが、そういうふうにも思っていたので「そうやなあ。」と言った。すると後輩は言った。「そうですよね。じゃないとあんなに慕われないですよね。」と。
私はそこで、少し話がずれた感じがした。もちろん「人たらし」から「慕われる」への距離はそう遠くないだろう。ただ、それくらいのことなら私もびっくりしない。少し過度に、変な言い方だが少し過度に謙遜するだけである。「そんなことないですよお。」と。ただ、私はそうしなかった。ある種の自白、ある種の告白、ある種のカミングアウト、そんな雰囲気が私にはあった。「そうやなあ。」と言ったときには。しかし、そこからずれたのである。
これだけの話である。特にここから進むところはない。ただ、これを思い出したのは『断片的なものの社会学』に収録されている「笑いと自由」という文章を読んだからであるということは書き添えておきたい。それ以上のことは特にない。というか、見つけられない。見つける気力がない。
慕ってくれている、と後輩がみなしている、彼ら彼女らは私の「人たらし」に気がついているのだろうか。「かまってちゃん」には気がついているだろう。何人かは。しかし、「人たらし」はどうだろう。なぜか『「いき」の構造』を思い出した。ただ、「なぜか」ということがこちらのほうがわかる気がする。媚態についてはかつて猫の鳴き声を分析したことがある。まだ未発表であるのだが。完成形は。
さて、後輩はなぜあんなことを言ったのだろうか。特別仲が良いわけではない私に。不思議だ。彼はかなり話しやすい人だった。というか、話させられている感じすらするような人だった。ただ、嫌な感じではなかった。アドバイスしちゃった。アドバイスするの嫌いなのに。彼の手のひらの上だったのかもしれない。ただ、そうだとしても別にいい。というか、多少酔っていたこともあって異世界感があった。
お風呂から上がって私は寝た。車に揺られて寝た。身を預けて、寝た。ふりをした。慕ってくれている後輩に。