彼は本物のニヒリスト
昨日、久しぶりに友達に会った。お昼ご飯を食べて、ダーツをして、別れた。六人来た。三人休んだ。
帰りしな、一人の男性が言った。「もう、人生飽きたな。」と。私は25歳、大学の同期だから彼も25歳。たぶん。もしかしたら24歳かもしれない。人生、やることがないらしい。そう言われると私もない。が、ニヒリズムとか、そういうものがダサいと思って避けている。が、別に彼はダサくなかった。本当にやることがなかったっぽかった。
女性もいた。帰る方向が同じだったから。彼女は言った。「私は明日死んでもいいと思って生きてる。」と。
なんとなく、私はもう、この人たちとは会わなくてもいいな、と思った。たぶん会うけれど。拒否することはないけれど、固執することもないだろう。別に二人の発言が原因ではない。最後のひと押しですらなかったと思う。
みんな虚しい。そんな感じがした。薄く張り付く、そんな膜、氷、私たちには皆、そういうものがあるのだ。何かの拍子に毀れて、死ぬ。身体が死ぬかどうかは知らないが、死ぬ。
まあ、もしかしたら冬だからなのかもしれない。いつもはスノボをしにいくから、だから明るかったのかもしれない。滑れない。座る。雪の上に。お尻は冷たく、雪は降っている。前は見えるが見えきらない。晴れすぎていたらそれはそれでなんともない。
生きる意味とか考えたことない。でも最近、それが考えられるような気がしてきている。人生は繋がっているような、そんな気がしてきている。もちろんいままでも繋がっていたしこれからも繋がっていないのだろう。
なんだか悟ったような人はたくさんいるけれど、それが何かを隠すためのものではないような人はほとんどいない。いや、「ほとんど」は希望で、少なくとも私は見たことがない。
毎日を楽しく過ごすことはできる。私はそういう力を鍛えてきた。というか、勝手にそうなっていた。しかし、それはぷしゅぷしゅしているだけだ。炭酸のような日々は過ぎ、一粒二粒、サイダーは飛ぶ。
なるほどそろそろ、私は変わる。おそらく。起伏のない人間に、は、ならないかな。なれないかな。慣れかもしれない。慣れかもしれない。
もうすぐ26歳だ。