純粋願望

なんか適当に「すごい!」って言いたいな。後からそのすごさを考えてもいいし考えなくてもいいような、そんな「すごい!」が言いたいな。

私はなぜか、呪いなのか、「すごい!」と言ったら、そのこと自体について考えてしまう。勝手に考え始めてしまう。そのように言ったこと、言わせたこと、それらを掴み取りたいと思ってしまう。ただ、いつのまにかそれが逆転してきて、掴み取れないものについては「すごい!」と言えなくなった気がする。そう言おうとしている自分を見つけては「何がすごいのかね。」と意地悪をしてきた、そんな気がする。そんなことはしなくてもいいのに。

ただ、なんでもかんでも「すごい!」と言いたくはない。そういう人を見ると私は嫌な気持ちになる。いや、嫌な気持ちというか「こんな人にはなるまい。」と思う。ただ、もしかするとその気持ちの正体を私は取り違えていたのかもしれない。「すごい!」と言ってその理由を述べること、それがただの防衛になっていたのかもしれない。そんなことはしなくてもいい。もちろん理由を述べられたほうが楽しい。それはわかる。ただ、それはただ単に楽しいだけであり、それを防衛にする必要はない。いや、する必要があるとしてもいつもその必要があるわけではない。どうして原理にしてしまうのだろうか。

もちろん、私はわざと悲しんでいる。ところもある。ただ、この悲しみは大袈裟だとしても嘘ではない。「すごい!」と言えることはそれ自体で嬉しいことなのである。気持ちの高揚、そしてその自然さ、それは嬉しいことなのである。

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