私が好きなスタイルの話

 すんごく短い文章を書こう。
 書くというのはどういう営みだろうか。最近はやたらと論理的に書くこと、読み手に伝わるように書くことがもてはやされている気がする。まあ、これを「もてはやす」という多少は眉を顰めるような書き方をしている意味について書いてもいいがそれは少し長くなりそうなので私が好きなスタイルの話をしよう。書き方の話をしよう。
 私が好きなのは自分が書いた前の文章に必要以上に触発されるような書き方、そして生き方である。この書き方と生き方の幅は覚えておいてもらって、書くことと生きることをスタイルで接続する強引さは覚えておいてもらって、とりあえず本題の話をしよう。どちらが本題かはわからないが。

 私が好きなのは自分が書いた前の文章に必要以上に触発されるような書き方である。ここでのポイントは「文章」を「自分が書いた」ものに限定していること、「必要以上」という過剰性、「触発される」というあり方である。全部話しているとキリがないのですっぱりイメージをお伝えしよう。私のイメージは花びらを図形化して、その図形の外周をなぞるようなイメージである。最終的にそういうイメージになるような、そんな文章が私の好きな文章なのである。
 ひまわりを想像してほしい。真ん中には種が詰まっていて、周りには花びらがある。真ん中はこの場合「文章」である。そして、周りの花びらの一つ一つはその「文章」に「触発される」私が書いたものである。それもまた「文章」であるが、この対称性は二枚目の花びらによって崩れる。それらは同じような形で花びらとなり、花びらは連続していく。そして最後にはあのひまわりの形が現れるわけである。そういう文章が理想的なのである。
 形だけで言えば、引用文A→私の文章X→私の文章Y→……という感じで進み、私の文章が一段落すれば引用文Aが中央の種が詰まったところになっている。そんな感じである。同じことだが、私の文章X.Y……が花びらになっている。そんな感じである。
 過剰性というのはおそらく中央の種のことであり、この花のことであり、対称性の破れのことであると思う。ここでの過剰性というのは最終的にひまわりになる、その力のことだと思う。だから、最終的にそうはならずに、またはそうなることを意図せずに、ブロックを積み上げるように、蜘蛛の巣に重みを加えるように、そういうふうに書くものは過剰ではない。ほぼ規則的に円環化する、私の文章が。「結局同じ話ばかりしてる?」となる。そういう文章。それが私の理想の文章である。
 まあ、理想の文章というか、私が書くとそうなることが多いし、それが私は好きだというだけだが。ここまでで過剰性については考えてきた。では、「触発される」というあり方はどうだろう。私は対称性の破れがひまわりのような形になること、それが「触発される」ということであると思う。バラバラにも存在できたし、花びら同士が連続する必要もなかったし、でもこうなった。この形、それが出来上がっていく流れ、力、それが「触発される」ということだと思う。そして、この「触発される」には一つ、とても大きな太陽がある。それが私である。私は私について、その複数性やその根拠について、話すと長くなるくらい話してきたし、おそらくこれからも話すのだが、太陽というのは大きな触発である。文章はいつも私のほうを向いている。だから、本当は「文章」を「自分が書いた」ものに限定する必要はないのだが、なぜか限定している。それが謎なのだ。
 ここは結局よくわからない。結局、謎は謎である。よくわからない、そんな生態である。

 今日はここまでにしよう。いつも以上にルーズにアバウトに書いた。感じが伝われば嬉しい。伝わらなかったら申し訳ない。

 ここで話したかったのは大枠次のようなことである。

類似のあいだを眼が飛び移るということは、類似関係の内側から言えば、回遊する視線を繰り返しとらえて視線のダマをつくるということだし、類似関係の外側から言えば視線の迷いが整理され、そのあいだに存在する雑多な情報をスキップするということだ。
ある場所では視線がとらえられ、ある場所では部分的な抜け道ができる。この浪費的な視線のダマと節約的な視線のジャンプが回遊する視線に速度の落差と部分的な繰り返しをつくりだす。この速度の落差と反復が無数に組みあわされることで、一見無秩序に見える錯雑とした石組のなかに多層的なリズムが発生する。

『庭のかたちが生まれるとき 庭園の詩学と庭師の知恵』
142頁

 ここでの「石組」というのは作庭の工程の一つで簡単に言えば庭に石を並べることである。この場合は庭が一つの種が集まるところ、凝集した、未来の他の庭との連結、記憶、飛び移り、そんなことの手がかり、根拠、走り書きである。おそらく。そういうことを書きたかった。大まかに言えば。まあ、違うところもあるとは思うのだが、今日はとりあえずこれくらいで。これくらいで書きたい。そういう始まりだったのだから。

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