人間とコンピュータの創造可能性

書評_030
松川研究室B2 石橋優希

書籍情報
著書:『考える脳 考えるコンピュータ』(原題 ''On Intelligence'')
著者:Jeff Hawkins, Sandra Blakeslee
出版社:ランダムハウス講談社

著者のJeff Hawkins氏は、本書出版まで25年間に渡りモバイルコンピューティングの開発を行う傍ら、脳の構造を明らかにし真の知能を備えた機械を作る、という目的のため研究をおこなってきた。本書評では、『考える脳 考えるコンピュータ』を通して人間の知能、創造性の本質や脳とコンピュータの違いについて理解を深め、知能や創造性の可能性について議論したい。

人工知能・ニューラルネットワークの現実

人工知能という言葉が当たり前のように飛び交う世の中になって久しいが、脳を完全に再現した機械など存在していないことは言わずもがな、機械には3歳の子どもが簡単にできるような運動や会話ですらできない。人工知能研究はコンピュータの出現と同時に盛んに行われてきたが、一方で脳は当時から今日に至るまでどのように機能しているかが解明されていない領域が多い。人工知能と呼ばれているものは実際には脳のシミュレーションをせずに設計された、ある特定の仕事をするのだけに最適なコンビュータプログラムなので、人間と同じ思考をすることができない。

人工知能研究より遅れて1980年代頃から情報の入力を伴った脳のニューロンの振る舞いを正確に複製し、人工知能が解けなかった問題を解決するというニューラルネットワークの研究が盛んになった。しかし、肝心の生体としての脳の構造が明らかにならず、脳そのものの再現には至っていないというのが現実である。

脳の構造

脳とコンピュータの働きの根本的な違いは解剖学的な構造に端的に現れている。脳は新皮質と呼ばれる神経細胞の薄い膜が古くに発達した組織を包んでおり、この新皮質が認識、会話、想像といった知能の働きとみなされる活動のほとんどをおこなっている。正確な機能の解明は進んでいないが、全体として6層の階層構造になっている。さらに細かくみると、錐体細胞と呼ばれるニューロンが他のニューロンとシナプスと呼ばれる結合を形成し、シナプスを通してニューロン間で入力出力双方の電気信号のやりとりを行うことによって記憶が蓄積されたり、運動したりする。

新皮質はどの場所でも均質な見た目をしているが、視覚、聴覚、触覚などはそれぞれ新皮質の別の領域が処理している。ところが、これはそれぞれの領域が別の処理をしているのではなく、シナプスの接続経路が異なるだけで新皮質の組織そのものは同じ電気信号の処理をしているということがわかっている。このことを裏付ける事例として、我々は脳が現在の構造に進化したよりもずっと後に誕生した言語、生活、技術を利用しているということが挙げられる。これは人間が生まれながらに言語野やそれぞれの処理をする領域を持っているわけではなく、後天的に新皮質が作業ごとに特化した機能領域へと分化していくということを示している。新皮質自体の処理は非常に多様で複雑なように見えるが、それぞれの働きは全体に通底する共通の処理がなされていたのである。

そしてあらゆる外部からの刺激、情報は活動電位に変換され、時間的、空間的な電気信号のパターンとして新皮質に記憶される。小型カメラを額に載せ、電極を舌に装着した盲人が視力を獲得したり、脳の微弱な電気信号を認識して麻痺した手を動かしたりする事例は、この構造を裏付けている。

記憶と予測

脳とコンピュータはどちらも記憶をするが、脳の記憶にはコンピュータが持たない4つの特徴がある。
1. 新皮質はパターンの時間的シーケンスを記憶する。
新皮質が時間軸を伴って記憶するということであり、例えばアルファベットをAから順番に言えてもZから逆にすらすら言えないことや、イントロを聴くとその先のメロディーがどんどん浮かんでくることは時間軸を伴ったパターンの記憶がよくわかる例である。
2. 新皮質はパターンを自己連想的に呼び戻す。
脳は自己連想によって現在の入力を補い、次に何が起こるかを予測する。会話中話題がどんどん連想によって展開されていくように、このような記憶のつながりこそが思考の本質である。
3. 新皮質はパターンを普遍の表現で記憶する。
友人の顔がどんな表情、角度からでも友人と認識できるのは、ある瞬間の詳細な画像を記憶し照合しているのではなく、パーツの位置の隔たりなど本質に関わる重要な点を普遍的に記憶しており、入力された具体的な情報と組み合わせて判断しているからである。
4. 新皮質はパターンを階層的に記憶する。
石橋優希<松川研<SFC<慶應大学<大学生<日本人<人間<... というようにある記憶を他の記憶と関連づけて階層構造で記憶することができる。このことは自己連想と関係が深い。

ところで、ある日突然自宅の玄関のドアノブが違うものに変わっていたら、ドアを開けようとした瞬間に異変に気づくだろう。なぜ異変に気づくことができるのか。コンピュータが異変に気づくためにはあらゆる瞬間に出会う全ての対象の特徴をデータベースに入れその記憶と照らし合わせることになるが、そんなことは不可能だ。人間はある瞬間に何を見て、聞いて、触っているのかを蓄積された記憶から前もって予測して行動しているのである。そして、予測通りの現実が入力された時は意識にのぼることはないが、予測に反した現実が起こった時、違和感を感じるのだ。この予測という行為は新皮質を獲得した哺乳類特有のもので、予測という行為により未来を想像できるようになったこと、言語の階層構造を理解できるようになったことが人類が発展を遂げた要因であるといえる。

音楽や建築などの表現メディアをはじめ、人間は自分の予想を覆す驚きを好むが、これも記憶の蓄積により呼び戻された普遍の記憶による予測が外れた時の違和感が心地良さに起因していると考える。

人間とコンピュータの創造可能性

脳が持つ時間や階層、連想を伴う抽象化された記憶の構造が再現できないことや、感情や平衡感覚のようなあらゆる情報を総合して思考することができないという点で、コンピュータは人間の知能を完全に再現することはできない。このように比較すると、コンピュータは人間の知能より遥かに劣っているように見えるが、一方で、半導体の計算速度、記憶容量の大きさ、複製のしやすさ、レーダー、赤外線のような人間が持たない感覚の多様性などは人間より優れている。知能の仕組みを知ることで、それぞれの長所短所が見えてくる。

これらの両者の知能の特性を理解した上で改めてものづくりに目を向けたとき、さらなる創造の可能性に辿り着けるような人間とコンピュータの協力関係とはどんなものなのだろうか。建築におけるIT黎明期である今、我々はコンピュータをどう利用していくことが望ましいのだろうか。人間とコンピュータの創造可能性について議論したい。


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