先進的?オールジェンダートイレ
いつの間にか新設するトイレを「全てオールジェンダー(誰でも)トイレ」にしたり、既存の「男性用トイレと女性用トイレ」から「男性用とオールジェンダー(誰でも)トイレ」に変更することが、あたかもマイノリティに配慮されててナウくてアップデートされてて先進的でインクルーシブで素晴らしいみたいな雰囲気になっているので、今まで議論され尽くしてきたことを自分なりにまとめてみた。
渋谷区幡ヶ谷の新しい公衆トイレ
「渋谷区としては女性トイレをなくす方向性」!?
それは困る。と思ってたら
「今回のトイレのように充分な敷地があるなら、原則として男性用、女性用、誰でもトイレの3つを設置するべきだ」!その通りだと思う。
ところが渋谷区はトイレの「男女共用化」を推進しているらしい。
しかも男女共用化にする理由が「性的少数者に配慮」?
性的少数者のうち、性指向に関するLGBは現状のセックス(身体の性)で区分けされているトイレを使用することに問題を感じていないだろうから、自認する性と身体の性が異なるT(トランスジェンダー)に対する配慮ということなのだろう。
そして幡ヶ谷に新しくできた公衆トイレは「誰でもトイレ+女性用トイレ」ではなく、「男性用トイレ+誰でもトイレ」になり、結果として女性用トイレがなくなってしまっている。
渋谷区議の橋本ゆき氏は(要確認)といいつつも男女どちらかのトイレを減らす理由として
>公園のトイレの利用者が男性が圧倒的に多いという点から
と推測しているが、「人口の半分を占めるはずの女性がなぜ公園のトイレを利用しないか」という視点が欠けているように思える。
現状すでに女性や女児たちは公園のトイレが汚くて暗くて安心できていないから利用していないのに、それを根拠に「女性トイレがいらない」と判断されたら困る。
女性や女児たちはますます外出先のトイレ探しに難儀してしまうではないか。
(なお橋本ゆき氏の上記のツイートは削除され、この話題に関してその後以下のようにツイートしなおしていた)
渋谷区公式サイトから「渋谷区立幡ヶ谷公衆便所について」という案内が出ていたので読んでみたところ、
「渋谷区では今後のトイレ整備について女性トイレをなくす方向性など全くございません」といいつつ、施設配置図をみるとやはり女性トイレが存在せず、女性が使えるのは共用トイレのみになっている。
どんな計画段階を経たのであれ、結果として女性トイレがなくなっているのならば「女性トイレ」をなくそうとしているのと同じではないのか?
もしかして渋谷区は「女性トイレ」という言葉を「女性(専用)トイレ」という意味ではなく「女性(が使える洋式便器が設置してある男女共用の)トイレ」という意味で使っている可能性があるとか?
いやいやまさかそんな言葉遊びじゃあるまいし……
言葉尻を捕らえるようでアレだが「これから全部なくしていく予定ではない」は部分否定なので、「これから一部では女性トイレがなくなる予定/公衆トイレを設計するうえで女性(専用)トイレは必須条件ではない」と受け取られてしまうのではないだろうか。
Twitterでは「なぜ女性(専用)トイレ」がないの!?という反応が多くみられる。わたしも全く同じように思う。
橋本ゆき氏には女性たちの意見を届けるよう頑張ってもらいたい。
また、女性記者が幡ヶ谷の公衆トイレを取材したことがyahoo記事になっていた。
女性トイレがないのも問題だけど、共用トイレで密閉型のサニタリーボックスがない!?!?それは一番困る。
上部半開きの銀色のボックスだと中身が見えてしまいそうで使用済み生理用品を捨てたくないし、わざわざ持ち帰れってこと?
これでは公衆トイレなのに女性が使うことを想定されてないといわれても仕方ないだろう。
「THE TOKYO TOILET」プロジェクト
話題になった渋谷区幡ヶ谷の公衆トイレは、シブヤ経済新聞の記事によると
日本財団(港区)が展開する、建築家ら16人が参画し区内の公衆トイレ17カ所をリデザインする「THE TOKYO TOILET」プロジェクトの一環として作られたものだということがわかった。
そこでTHE TOKYO TOILETプロジェクトのHPをみてみたら、確かにそうそうたるメンバーの建築家の名前がずらっと並んでいて、多様なデザインのトイレが紹介されていた。
自分でも確認してみたところ、他にも「男子トイレ+誰でもトイレ」という組み合わせ(例 佐藤カズー氏による「Hi Toilet」)や「全てがオールジェンダートイレ」(例 佐藤可士和氏による「WHITE」、坂倉竹之助氏による「ANDON TOILET」、後智仁氏による「Monumentum」、隈研吾氏による「森のコミチ」)となっていて、「THE TOKYO TOILET」プロジェクトで作られたなかには女性(専用)トイレが存在しない設計のトイレがいくつかあった。
ちなみに女性トイレが設けられていたのはNIGO氏デザインによる「THE HOUSE」、伊東豊雄氏による「Three Mushrooms」、安藤忠雄氏による「あまやどり」、田村菜穂氏による「TRIANGLE」、片山正通氏によるトイレ、槇文彦氏による「タコ公園のイカトイレ」、坂 茂氏による「ザ トウメイ トウキョウ トイレット」だった。
(※坂茂氏デザインのトイレは女性用が設けられているものの、鍵をしめると不透明になるガラスで外壁が作られており、2022年12月に鍵をしめても中が丸見えになるというトラブルがあったため、別の問題があると思う。
yahoo記事「渋谷の“透明”公衆トイレが故障で丸見えに 緊急事態も現場は利用継続「早く直して」の魚拓 )
このように同じTHE TOKYO TOILETプロジェクトにおいても場合によっては女性トイレが設けられているので、「女性(専用)トイレを設ける」というのはおそらく必須条件ではないのだろう。
しぶや区ニュース 令和5年1月1日号 PDF をみてみると、表紙には左上に「2023年、多様性社会を新しい公共トイレから」と書かれており、渋谷区長の長谷部健氏と株式会社ファーストリテイリング 取締役・THE TOKYO TOILETプロジェクト発起人・資金提供者の柳井康治氏が笑顔で並んで写っている。(背景に写っているのはTHE TOKYO TOILETプロジェクトの安藤忠雄氏による神宮通公園トイレで、女性専用トイレが設けられているタイプだ)
渋谷スタンダードという方針により、女性専用トイレを減らして作られた新しい男女共用トイレは果たして社会の多様性を向上させるのだろうか?
渋谷区トイレ環境整備基本方針
渋谷区のホームページでは「渋谷区トイレ環境整備基本方針」(PDF)が公開されている。
最初の「はじめに」から女性が無視されているし、
「トイレの使用に不便を感じる人の一例」でも「女性」はなかった。
という記述には疑問を持った。
トイレは「身体の性別」で分かれて使用するというのが社会通念(暗黙の了解)になっていて、別に「見た目」で判断しているわけではないと思うのだが、いつの間にか「見た目」で判断していることになったんだろう。
警備員を呼ばれてしまったショートヘアの女性は気の毒だ。しかし、それだけ女性トイレに侵入する男性不審者が後を絶たないということなので、どうか警戒する女性のことを悪く思わないでほしいと願うばかりだ。
「渋谷区トイレ環境整備」を通して読んだところ、バリアフリーや障害者・トランスジェンダーへの配慮については記載があったが、防犯の観点での記述が全く見当たらなかったことにわたしはとても驚いた。
他の区でも女性専用トイレがなくなっている?
話題になった渋谷区のトイレを機に他の区の区議も公衆トイレの女性専用トイレの有無について発信を始めているので注目している。
ではこれから「トイレを設置するにあたって女性トイレが必ず必要な理由」と「性的少数者(トランスジェンダー)に配慮しての共用推進の是非」をあわせて考察していきたい。
身体構造の違い
キャロライン・クリアド=ペレス『存在しない女たち 男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く』の「第2章 ジェンダーニュートラルな小便器」では、この女性トイレにまつわる話題に関して言及されているので抜粋したい。
このように、女性と男性では身体の構造も異なり、女性のほうが男性よりもトイレを使う時間が多いし、床面積を等分するだけでなくて本体ならば女性用のほうを増やさなければならないところを、なぜか「全てオールジェンダートイレ」もしくは「男性用+オールジェンダートイレ」という組み合わせで設計されており、「女性用」がなくなってしまっている。
【前提】「トランス」の定義
以降では「トイレを男女共用化して性的少数者に配慮する」ことに関して、「トランス女性」の女子トイレ利用についても触れる。
そのためには前提としてまずはトランス女性の定義を共有していないと、読む人によって意味が大幅に違ってしまうので、まずここにわたしの認識しているトランス女性の定義を書いておく。
①トランス女性は「出生時にわりあてられた性別が男性で、女性の性自認をもつ人」のことで、GID(性同一性障害)だけでなく、身体違和がなくて性別適合手術を望まない性自認女性(の身体男性)や、性指向が女性である場合もある
②トランス女性はトランスジェンダーに含まれる
③国連の定義、アンブレラタームによると「トランスジェンダー」にオートガイネフィリアとトランスヴェスタイト(異性装)が含まれる
いま普及しているトイレがすでにオールジェンダーである
一般的に、公共の場におけるトイレは身体の性(セックス)で分かれていることが社会通念(暗黙のルール)となっている。
セックスとジェンダーの違い
セックス:生物学的な性別
ジェンダー:社会的・文化的に形成された性別
つまり現状で公共の場にあるトイレはジェンダーに関係なくセックスで区別されており、すでにオールジェンダートイレになっているのだ。
それゆえ、インクルーシブとされている身体の性を区別しない誰でもトイレは「オールジェンダートイレ」ではなく、正しく言い換えれば「ユニセックストイレ」なのであって、それは昭和の共同便所を現代風の横文字で言い換えただけに過ぎない。
洋服だってユニセックスで着れるんだからトイレだってユニセックスでいいと思う人もいるのかもしれない。
だが、上記したように身体構造やトイレにおける行動が異なるため、男性と女性を分けて配慮する必要がある。
防犯による区分けの必要
男性の異常行動
わたしは今まで数々の「性欲に取り憑かれた男性の異常行動」に遭遇してきて、自分の身を守るために「もし性加害者だったらどう振る舞うだろう」という事前の予測が無意識のうちに習慣となってしまった。
女性トイレでは直接男性から危害を加えられるほかにも、盗撮されたり、使用済み生理用品を盗まれたりして、それが性的コンテンツとして販売されたり、女性に対して使用済み生理用品の買い取りを持ちかける男性までいる。
しかしながら男性はこういう異常行動をしている男性に出会う機会が女性よりもずっと少ない。
そしてトイレを設計したり決定権を握っている男性たちはどうも「性欲に取り憑かれた男性の異常行動」を見くびっているように思えるのだ。
ブザーやサイレンで防犯面は解決するのか
2022年の7月末ごろに中国のオールジェンダートイレ(男女共用トイレ)で女性が暴行される動画が話題になった。
(ツイートにある動画は女性が暴力を振るわれているため閲覧注意⚠)
被害者の女性は一度は脱出したものの、周りに何人も男性たちがいるなかで、加害者に髪をつかまれて再び個室に連れ込まれてしまっている。
周りに人が多くいる状況ですらこんなありさまだ。これが例えば周囲にひとけのない時間帯や治安の悪い場所だったらどうだろう。
ある男性がオールジェンダートイレの防犯対策についてこう提案していた。
ブザーやサイレンをならしたところで、警察や警備員が駆け付けるまでにはタイムラグがあるし、引きずり込まれるという体験自体がすでに被害だ。
「(オールジェンダートイレに)連れ込まれたと同時にサイレンを外部に鳴らし、ドアの強制オープン」が防犯対策になると思っている時点で、男性と女性とでは見えている景色が違うのだと思わざるを得ない。
たとえドアが強制オープンで開いたとしても、個室に押し込まれる時点で退路が塞がれてしまっているので、被害者が解放されるのは加害者が立ち去った後だろうに。
防犯に対する想像力のなさは文字通り利用者の命にかかわるので「致命的」である。
女性や女児たちはそもそもそんな怖い思いをしたくないのだ。
犯罪機会論の観点
犯罪機会論は、医学の世界における「治療と予防」のように、犯罪をどのように「予防」できるのだろうか、という考えからうまれた。
わたしは小宮信夫氏の『犯罪は「この場所」で起こる』を読んでみた。
この本でまさしく公衆トイレに言及している部分があるので引用する。
話題になった渋谷区幡ヶ谷の公衆トイレは、わたしは「設置されたオープンスペース前にもし男性が一人で座っていたら、品定めして機会をうかがっている可能性もあるので怖くて使用できない。夜間、男性たちのたまり場になっていたら怖くてトイレを使用するどころか、そばを通ることも避けるだろう」と思った。
実際にどう犯罪に使われるか具体的に危惧を抱いている方たちもいた。
NHKの記事で小宮信夫氏は、そもそもトイレは性犯罪が最も起きやすい場所の一つで、日本の公共のトイレは海外と比べても特に危険だと指摘している。
日本の公衆トイレの危険性について小宮信夫氏に取材したFRYDAYデジタルの記事では、「犯罪者をいくら罰しても『環境を整えなければ』犯罪は減らない」として犯罪機会論に基づいた環境づくりの重要性が語られている。
渋谷区トイレ環境整備基本方針では一切「防犯」に言及されることがなくて驚いてしまったのだが、日本でも自治体の管理責任を求めるような法ができれば防犯についてもっと真剣に考えてもらえるのだろうか。
この記事は最後に「設計コンペティションで選ばれたトイレで犯罪が」として大井町の公衆トイレを取り上げている。
大井町駅前公衆便所での事件
大井町駅前公衆便所は品川区の設計コンペティションで選ばれ、2022年にグッドデザイン賞を受賞してもいる。
大井町駅前公衆便所は、すべて性別を問わず使用でき、異なる設備を備え、着替え・ベビー・パウダールーム・オストメイト・誰でもトイレという目的に応じて自由に選ぶことができるというコンセプトで、6つあるうちの全てが男女共用トイレである。
(PDF)https://jp.toto.com/com-et/jirei/2225/pdf/2225.pdf
このトイレは2020年9月に利用開始されたばかりなのにかかわらず、2021年10月15日の未明に強制わいせつ事件の犯行現場となってしまった。
>JR大井町駅近くで面識のない会社員の20代女性の肩をつかんで公衆トイレに押し込み、胸などを触った疑いが持たれています。
yahooニュース「女性は泣きながら抵抗 男がトイレでわいせつ行為 ナンパ繰り返す」記事 魚拓
犯罪機会論からみれば大井町駅前公衆便所は
・トイレが歩道上にあるので、通行を装って尾行すれば気づかれない
・入り口が線路側にあるので、連れ込まれる瞬間を目撃されにくい
・男女が分離していない共用トイレなので、異性に尾行された人も違和感を覚えず、周囲の人も不自然に思わない
・歩道のすぐそばにあり、ドアさえしめてしまえば完全に個室になるので「入りやすく+見えにくい」という構造
という問題がある。
渋谷区トイレ環境整備基本方針はユニバーサルデザインだけでなく、犯罪機会論の観点からも監修を受けるべきであったのではないだろうか。
「見た目で判断」という曖昧な基準
女性トイレをめぐる話題において、しばしば「見た目で判断」「男性に見える人」「女性に見える人」という表現がされるが、前述したようにトイレは「身体の性別」で区分されるのが暗黙の了解になっているものだと思っていた。
女性トイレ(および女性スペース全般)は
①「身体の性別」で区分されている
という社会通念/暗黙のルールがあるうえで、それでも時々男性の不審者が侵入してくるので
②「見た目」でも警戒する
という二段階認証のようになっているのではないか?
「見た目で判断」という表現によって女性スペースは①「身体の性別(セックス)」ではなく、最初から②「見た目/パス度」で区別されるものなのだと認識をずらそうとする意図があるのではないか。
「パス度」とは「外見上第三者から自認する性別として認識され、社会に通用する度合いを指す言葉」のことである。
公共の場においては誰が「見た目」「パス度」を判断するのだろう。
たまたまその場に居合わせた人が判断するのでは基準が曖昧であるし、「見た目で判断すればいい」といっている人は、違和感をおぼえたとしてもその場では波風が立たないようにやりすごす可能性を考慮していない。
また、「パス度」が高ければ良いというのはルッキズム(外見重視主義)にもつながるだろう。
わたしの考える「パス度」の問題点
ルッキズムやエイジズムという抑圧やシビアな評価にさらされ続ける女性と違って、そこから自由でいられた男性が自分の考える“女性”のように装飾しても、自己に対する認識が他者からの評価と一致しない場合がある。
女性はプライバシーや身の安全に関わる場面ではとりわけシビアに判断するし、男性は男性に対して容姿の評価が甘いため、評価者が男性であるか女性であるかによって、精度が違うだろう。
現実は加工アプリのように他者の視野にフィルターをかけられないし、顔だけでなく他の女性との比較や体格や雰囲気など含めて全体像で判断される。
女性はいざ女性スペースで男性と思われる人に遭遇しても、逆上されるのが怖くて見て見ぬふりをしてやり過ごす。
その状態を自分の「パス度が高い」と都合よく変換し、実際にはパス度が低くても完パスしてると思い込んでいるorたとえパス度が低くても女性は文句言ってこないんだから問題ないと考える人が一定数いる。「パス度」は「他者が自分をどんな性別として扱うかをフィードバックした自己評価」であるため、基準そのものに本人の主観が含まれている。
「見た目」や「パス度」が基準となってしまうことで、「パス度」の自己フィードバックがうまく働いていない人まで女性トイレを利用できることになってしまい、「身体の性別」で区分されているという社会通念や暗黙のルールが崩壊する。
それによって女性トイレを使う女性当事者の心理的安全が脅かされてしまうし、いったん破壊されてしまった安全への信頼はもう元には戻らないので、社会で共存していくためにも建前や暗黙のルールは守ってほしい。
よく見られるトランスアライ/共用トイレ推進派の意見9選
1「女性だって女性に性加害する」「女性だって女性を盗撮する」
まずは性犯罪者の男女比をみてみよう。
女性だって女性に加害する例もあるだろうが、性犯罪者の99%以上は男性によっておこなわれるという統計を無視する理由にはならない。
次に性被害者の男女比をみてみよう。
警視庁 犯罪被害者白書 令和4年版本文 犯罪被害者等施策に関する基礎資料 PDF 230ページ にある
「10.特定罪種別 死傷別 被害者数」の「強制性交等罪」「強制わいせつ罪」をみれば被害者がほぼ女性であることが分かる。
このように性犯罪者のほとんどが男性であり、性被害者のほとんどが女性であるため、トイレや入浴する場所や更衣室などの身体のプライバシーに関連して無防備になる場所においてスペースを身体の性で分けるのは合理的な配慮だろう。
「男性に命令された女性だから」というのは2023年1月に報道された「長男の指示で母親が“女湯盗撮”か…入浴セットに仕掛けた小型カメラで裸の女性を盗撮した疑い 親子を逮捕」記事 魚拓 という事件を背景にしたものだろう。
誰も「盗撮が無問題」なんていっていないのに曲解するのはやめてほしい。
女性の盗撮映像を性的コンテンツとしたり売買するのは男性なのだから、もし男女共用になったらわざわざ女性に依頼するまでもなく男性が直接盗撮カメラを仕掛けることが可能になる。
2「トランスを排除しても、性犯罪がトイレから無くなる訳じゃない」
仮に「トランス女性を排除しても性犯罪が無くなるわけではない」として、だからといって女性トイレを性自認ベースで運用したら、防犯の抜け穴になってしまって性犯罪目的で悪用する男性が明らかに増えることを無視している。
「どー考えても現実味が無い」どころではなく、今まで性被害に遭ってきた女性たちが自らの経験から警告しているのだ。
女性たちの意見を聞くべきだ。被害者が出てからでは遅すぎる。
3「トランス女性を悪魔化している」
「トランス」の定義をもう一度確認してほしい。
トランス女性は身体が男性のままで身体違和が無い場合もある。
何度もいうが、トランス女性を「悪魔化」しているのではなく「身体男性」が女性トイレに入る可能性を懸念しているのだ。
身体女性にとっては女性スペースにおける身体男性が脅威であることを、このように「トランス差別」とすり替えられ続けるのにはもううんざりしている。
そしてトランス女性を全くの無垢で善良な存在であると「聖人化」するのも、相手を人間扱いしていないという点においては、また違った形の差別なのだとわたしは思っている。
4「海外ではもうオールジェンダー(共用)トイレが主流だ」
性被害に遭ったあとに警察に行って調書を作成する過程ですら二次加害になりうるし、性犯罪の成立要件が厳しく、いざ起訴できたとしても性加害者に対する量刑が甘くて、加害者がのうのうとのさばっているこのヘルジャパンに海外基準を持ち込まないでほしい。
性犯罪者が野放しにされているまま、人権先進国のいいところ取りして先進国ぶらないでほしい。
犠牲になるのは弱い立場の女性や子どもたちだ。
5「トランス女性たちはもうすでに女性トイレを使用している」
バレていなければいいという問題ではない。
社会からコンセンサスを得られてないことをこのようにいわれては開き直りとして受け取られてしまうだろう。
6「トイレに入るためにいちいち性器の有無をチェックするのか」
これは因果関係を逆にした詭弁だ。5のように「もうすでに女性トイレを使用している」と表明されたことによって、女性トイレ(および女性スペース全般)は「①身体の性別で区分されている」という社会通念が脅かされてしまい、疑心暗鬼にならざるを得なくなったのだ。
また、男女の身体的差異は性器の有無だけではないし、女性にとっては場所がトイレであっても性器が見えなければいいという問題ではない。
7「男性に間違われて通報されたり驚かれたりする女性もいるのだからトランス女性が入ってきてもかまわない」
たまにこういう意見の女性がいるので驚く。
女性が女性トイレで「男性に見える人」に驚いたり通報するのは、女性トイレで加害をしてくる男性が多いからであって、もしトランス女性まで女子トイレを使っていいことになったら、女性トイレ(および女性スペース全般)は「①身体の性別で区分されている」という社会通念がおびやかされるので、女性たちはより警戒を強めることになり、男性と間違われるような女性まで通報される機会が今よりも増えるだろう。
8「トランス女性が男性用を使うと驚かれてしまうので女性用を使っている」
「男性を驚かせるのは申し訳ない」けれど「女性を驚かせるのは許容できる」と思っている時点で女性のことを何だと思っているのだろう。
女性が驚くのは最悪の場合は命にかかわるという恐怖心からなのに。
無自覚ながらも「男性を驚かしたり脅かしてはならない」「男性には腕力では敵わないが、女性には負けることはないだろうから自分は安心でいられる」と思っているのかもしれない。
(ちなみにこの記事で取材されているのは「女子プロレスラーとして活躍しているトランスジェンダー女性」だ)
もし「女性の心」というものが存在するのならば、女性スペースで身体男性に遭遇した女性がどう思うのか少しは想像してもらいたい。
(すでに配慮してオールジェンダートイレを使って下さっているMtFの方はお気遣いに感謝します)
9「FtM(トランス男性)はどうなんだ」
時々こうやって性的少数者の身体女性を持ち出してくる人がいる。
身体男性による加害に比べれば身体女性による加害は圧倒的に少ないし、女性スペースにおいて問題になって報道されているのはほぼ100%身体男性によるものだ。
性別移行が進んで女性のように見えない外見になったFtMの方もいる。
その場合は先ほども述べたように、
女性トイレは
①「身体の性別」で区分されている
という社会通念/暗黙のルールを踏まえたうえで、それでも時々男性の不審者が侵入してくるので
②「見た目」でも警戒する
ので、①をクリアしているとしても②の「見た目」が問題になりそうならば公共の福祉のためにできればオールジェンダートイレを使って配慮してほしい。(すでに配慮して下さっているFtMの方はお気遣いに感謝します)
そのために選択肢としてオールジェンダートイレを増設することには賛成している。
男性側の問題
衛生面
男性のトイレの使いかたがあまりキレイでないという話はちょくちょく聞く。
もし女性が使えるのが洋式便器のオールジェンダー(誰でも/ユニバーサル/男女共用)トイレだけの場合は「男性が立ったまま洋式便器に小用を足したときの飛び散りによる汚れ」が確実にある(※LIONの調査によると立ったまま小用をする男性は45%いる)ので、座らなければ用を足せない女性たちは外出先のトイレ利用をためらってしまうだろう。
「THE TOKYO TOILET」プロジェクトでは
>「暗い」「汚い」「臭い」「怖い」「危険」などのイメージから入りづらい状況がある公衆トイレを、デザイン・クリエーティブの力を活用し「誰もが快適に使用できる」ようにすることを目指し
と謳っているが、特にトイレにおける「汚い」「臭い」は尿の飛び散りも大きな要因だと思うため、設計者はもし女性専用トイレを作らずに全てオールジェンダートイレにするのならば「男性が立って小用を足して周りを飛沫で汚したあとに同じ場所で女性が座って用を足さなければならない不快感」のことも考慮してほしい。
(※この項目は『いいね罪ふたたび』の「どんなツイートがトランスヘイトとされたのか」例2身体の性別で区分されたトイレは「トランスヘイト」なのか? より一部再掲した)
誰がトランス女性を排除しているのか?
はてな匿名ダイアリーで「2023年トランス女性のトイレ議論について、当事者から。[追記あり]」という記事があげられた。
という記述があったが、これは男性が男性を男性スペースから排除しているということになるだろう。
もしトランス女性が男子トイレを使うのが危険ならば、それは加害する男性のせいであって、その問題をトランス女性が女性スペースを使えるようにすることで解決を図ろうというのは、身体男性の侵入を容易にして女性や女児たち全員をおびやかしてリスクにさらすことになるので公共の福祉の点から同意できない。
しかしMtFは男性から性暴力を受けるという現実的な問題もあるため、男性トイレでもなく女性トイレでもなくオールジェンダートイレを使用してほしいと思っている。
トランスジェンダーへの配慮は全てオールジェンダートイレにすることで解決?
理論的には女子トイレをなくして「全てをオールジェンダートイレ」もしくは「男性用トイレ+オールジェンダートイレ」にすれば、他に選択肢がないため、「見た目」「パス度」に関係なくどんなトランス女性にもオールジェンダートイレを使用してもらうことはできるだろうが、それは結局のところすべての女性や女児たちに対してもオールジェンダートイレのみを使うように強いることにもなる。
性的少数者(実質トランスジェンダー)に配慮してトイレの共用化が推進されているのは、決定権を持つ人たちが「一部のトランス女性は性自認が女性でも身体が男性のままである場合もあるので女性トイレを使ってはならない」という議論を避けた結果なのだと推測する。
女性たちの「女性トイレをなくさないでほしい」という意見を無視するのは「女性たちの防犯や安全に関する懸念は取るに足らない」というのと同義なのではないか。
排除されるのは誰か
小学校にある男女共用便所が学内だけでなく公衆トイレのようにも使用されていた頃、文京区小2女児殺害事件という悲惨な出来事が起こった。
わたしの考えすぎかもしれないが、「女性トイレをなくして女性や女児が使える公衆トイレをオールジェンダートイレ(共同便所)に限る」というのは、最悪の場合、こういった事件まで再び起こりうるのではないか。
女性用トイレは、先人の女性たちが大学や職場や議会などに設置されてなかった環境を訴えて、地道に普及してきた女性たちの大事な権利でもある。
それにもかかわらず、女性用をなくして「全てオールジェンダートイレ」(という名の実質は共同便所)にするというのは時代に逆行しているとしか思えない。
不衛生だったり防犯上懸念があるようなトイレしかないということは、結果として女性や女児の心理的安全を損ない、行動範囲を狭め、公共空間から排除することになるだろう。
まとめ
上記の理由により、わたしは選択肢としてオールジェンダートイレを増やすというのは賛成だ。
しかしそれは「女性トイレをなくしてオールジェンダートイレにする」という意味ではない。
「全てをオールジェンダートイレ」もしくは「男性用+オールジェンダートイレ」にすることには反対する。
今あるトイレを改装する場合は女性用トイレの数はそのままで(むしろ数を増やしてもいいくらいだ)、トイレを新設する場合は女子トイレとオールジェンダートイレと男性用トイレを作り、もし設置スペースに制限がある場合は男性用トイレをオールジェンダートイレとすることが望ましいと考える。
渋谷区は「今後のトイレ整備について女性トイレをなくす方向性など全くございません」といつつ女性専用トイレがなくなったのは事実であるし、渋谷区は性的少数者(実質トランスジェンダー)への配慮として共用を推進している。
すなわち「女性専用トイレをなくして女性とトランス女性/トランス男性が使用するトイレをオールジェンダートイレに限定することによって、権利の衝突を回避し、トランスへの配慮を名目上は実現した」ということだ。
しかしこれでは防犯や衛生面に問題があり、女性や女児のみに負担や我慢を強いることになる。
このような方針は明らかな女性差別だ。
この権利衝突の本来の解決方法は、「女性用+オールジェンダー+男性用」もしくは「女性用+オールジェンダー」にしたうえで、トランス女性の定義を明確にして、身体男性のトランス女性はオールジェンダートイレを使ってもらうように周知して社会的コンセンサスを得ていくことだろう。
公衆トイレは完成したらお披露目して終わりの自己満足的な「作品」ではなく、実用性が求められる公共の建造物だ。
いくらデザインが素晴らしくても、防犯面や衛生面に不安があれば女性たちは使用できない。
公衆トイレには目新しさを求めているのではなく、ただ安心・安全・清潔に排泄したいだけなのに、なぜ女性専用トイレをなくしてしまうのだろう。
最後に『存在しない女たち』から引用した言葉とともにこの記事を終わりにしたい。
設計や計画段階から女性を排除し、女性専用トイレを無くしてオールジェンダートイレ(という名前だけは新しいものの、実質は男女共用便所)しか設置しないということは女性の心理的安全を損ない、行動範囲を狭めることにつながる。
女性たちにも公的資源に対する平等の権利がある。
女性たちには「女性トイレ」が必ず必要だ。