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男性もフェミニストになれるのか

この記事は『私は男でフェミニストです』のmstdnでの読書実況感想文に加筆修正したものです。

読んだきっかけ

正直いって、この本は「どういう経緯で女性当事者でもない男性がフェミニストになるんだろう」という好奇心や「結局どこかでボロを出すんじゃないの~?」的な意地の悪い気持ちがあって手に取ったのだった。

まともな発言をしている男性も少なからずいて「Not all フェミニスト男性」なのは重々承知しつつも、言い訳させてもらうと、Twitterで反差別をかかげていたり堂々とフェミニストを名乗る男性が、女性に対して粘着したり無神経な振る舞いをしていたり、性的暴行事件の犯人が有名フェミニストアカウントとして活動していた説(※Maggyの件)などがあり、

それらの経験によって培われた男性不信がわたしを疑い深くて怪訝なプーさんfaceをしながら、なにかとすぐに「異議あり!」とツッコミをいれたがる成歩堂龍一にしてしまうんですわァ。

ツッコミをいれているときの心象風景

この本を実際に読んでみたところ、意外や意外(といったら著者に失礼になるのかもしれないが)内容は予想に反してかなりまともで、ぜひともフェミニズムに関心のある男性に読んでほしいと思ったし、男性がフェミニストになる背景を著者の家族歴を通してひとつの例として知ることができてよかった。
著者は、

男をフェミニストにする最初の地点は、母親の人生に対し、自責の念を抱くことにあると信じてやまないから。

『私は男でフェミニストです』5章ヘイトと戦う方法
男子高校でフェミニズムを伝えます より

と、母親の人生に対する自責の念が起点となってフェミニスト的視点を持つようになったと書いていた。
一方で、同じような環境であってもそれを当然だと思い、自らのミソジニーに疑問を持つことなく家父長制を再生産して自分の妻に対して同じように振る舞っても当然だと思う男性もいることを不思議に思う。
共感性や想像力の違いなのだろうか。

男性が男性に向かって発言するということ

男性は本当に女性の話を聞かない。全然聞かない。むしろまともに聞く気が無いんじゃないかとすら思う。
わたしの観測範囲では女性(と思われる)アカウントが男尊左翼やアンチフェミニストに絡まれているのが日常茶飯事だ。嘘だと思うならTwitterでネカマやってみればいい。
そして、同じ発言内容でも男性(と思われる)アカウントだと「男性でしたか、失礼しました」と食い下がったり(女性だったら失礼してもいいとでも思ってるのだろうか?)、あっさり納得したり、スルーされているのを目の当たりにして、「今まであんなに女性に対してウザ絡みしてたのはなんだったんだよ💢💢💢」と理不尽に思うまでがセットだ。

全体的な内容としては「うんうん、男性も男性にそういってくれると助かるよ~~~!!」という印象だった。
ずいぶん前に読んだ『ボーイズ 男の子はなぜ「男らしく」育つのか』で、親しみやすくて少し年上の男性がチューター的役割のロールモデルとして身近にいることが大事というようなことが書いてあった(気がする)ので、男子高校の国語教師である著者が、価値観が柔軟な思春期男子たちや同僚の教師に対して押し付けがましくならないよう気を配りながらフェミニズムを啓発しているのは環境として理想的なのだろう。

日本のトップofトップ私立男子校として知られている開成は、以前、校長が

1人暮らしでパンツを脱ぎ捨てて出かけたら、帰るとそのままの形で部屋にぽつんと残っている。イヤですよね。冬に家に帰れば、暗くて寒い。寒さが身にしみるのです。そんなとき、シチューをつくって待っていてくれる彼女がいたら、「このまま一緒にいようか」となります。結婚が早くなるのです。

PRESIDENT Online 『18歳の一人暮らしは「風呂なし3万円」で十分だ』より

と発言した記事が話題になった。「シチューをつくって家で待っていてくれる彼女」とか前時代的な性的役割分担を推奨している場合ではない。
ぜひとも見習ってほしいものだ。

マイノリティ男性によるミソジニーへの言及は…?

わたしは、フェミニズムに関係する本を何冊か読むうちに「クィア」「シスジェンダー」とか「シス特権」「インターセクショナリティ」とかの単語が出てくると頭の中でむむむっとTRA警報が鳴ってしまうようになった。

この本でちょっと引っかかったところとしては、
・クィアパレードに参加してたり
(クィアの定義は何だと思っているのだろう?)
・「シスジェンダー」という言葉を疑いなく使ってたり
(「シスジェンダー」は「トランス」でないという意味で使っているのだろうが、「トランス」でないからといって、勝手に「シス」呼ばわりしないでほしいという気持ちも尊重してほしい)
・「ジェンダー平等」という訳語
(訳者が「ジェンダー平等」という訳語にした理由についてあとがきに書いていたが、日本ではなじみが薄い言葉であっても韓国で好まれているという「両性平等」「性平等」にしたほうが良かったのではないか?と個人的には思う。全体的な翻訳はとても読みやすかったです!ありがとうございました。)
・「フェミニズムは男性も救う」みたいなことをいっていた(以下で詳しく述べる)
ところなど、すこしだけ「うーむ」と思う部分があった。

この本は韓国で2018年に出版されていて、ほぼ同時期に書かれた『根のないフェミニズム』の第7章では、性的マイノリティー男性によるミソジニーや女性差別に言及されていた。韓国における草の根フェミニズムに言及している本の男性著者として、その点についてどう思っているのかが個人的には気になった。

男性もフェミニストになれるのか

この本では著者は「フェミニズムは男性にとってもいいものだ」というようなことを何回も繰り返し書いている。

何よりもフェミニズムは女性のためだけの運動ではない。狭く硬い殻に閉じ込められた男性の呼吸をも楽にさせてくれる。

『私は男でフェミニストです』3章 先生、もしかして週末に江南駅に行ってきたんですか?
男もフェミニストになれるだろうか より

この部分に感じる違和感をあえて表現すれば、男性がフェミニズムによって救われるのは勝手だが、男性の弱さを直視することを避けていたり、男性性を直接批判できないがゆえに、フェミニズムに頼っているのでは?と思ってしまう。

つまり、フェミニズムは男性側の原因によって生み出された結果であって男性性を批判するための女性側からみた視点に過ぎず、やはり根本的な原因を男性当事者の立場からメンズリブ(?)として有害な男らしさ(toxic masculinity)やミソジニー(misogyny)や家父長制(patriarchy)を直接批判する必要があるのではないかということだ。

男性がフェミニストのアライとして、当事者ではない女性の側からみた男性性の問題点を指摘してくれるのは結構なことで大変ありがたく思っているし、フェミニズムによって救われたと思っているのならよかったと思う。

しかし、さらに一歩進んで、フェミニズムを経由することなく男性当事者として男性の側からみた男性性の問題点を批判することも可能なのではないだろうか。

20~30代の男性は前の世代の男性と完全に異なる存在とは言い切れない理由でもある。何千年も受け継がれてきた基準点としての男の役割から完全に離脱していられる男性は基本的に存在しないので。

『主婦である私がマルクスの「資本論」を読んだら』p.158

男性中心社会である限り、どうあがいても「何千年も受け継がれてきた基準点としての男の役割から完全に離脱していられない」立場の男性が、その内側から男性性を批判するのは困難なことなのだろうか?

率直にいって、femaleの名を掲げる理論を、男性側が「フェミニズムはヒューマニズムだ」と拡大解釈して使用することによって、フェミニズムが簒奪されたように感じる気持ちも少しある。
好意的に考えれば、フェミニズムをヒューマニズムに含めることで男性側に抵抗感なく耳を傾けてもらいやすくなる効果を著者はあえて狙っているのかもしれないが。

女性がフェミニストを名乗って特に男性にとって都合が悪いようなことに言及すると、「こんなのはフェミニズムじゃない」だの「ただしトランス女性を排除するフェミニストを除く」だの「女性差別以外のイシューにも関心を持て」だの「まっとうなフェミニストの面汚し」だの言われてしまうので、わたしは女性の身体性に基づく不平等や搾取に関心があるものの、あえてフェミニストを名乗っていない。

女性当事者たちがフェミニストを名乗ると、どこからともなく湧いてくるフェミニスト鑑定士(笑)に上から目線で厳しく評価されるのに比べると、特にフェミニズムの研究者でもなく女性当事者でもない男性が堂々とフェミニストを名乗ってこのようなフェミニズムのエッセイを出せる状況が皮肉に思える。(←著者もこの点を自覚していた記述があったし、これは完全にやっかみです!)

読書案内ー男フェミのためのカリキュラム

巻末の読書案内に「男フェミのための」と書いてあるが、わたしが関心のある分野ー女性の人生、賃金格差、女性が感じる恐怖と不快感、家庭内暴力、母性信仰、性売買批判、男性性の起源ーなど多岐にわたってドンピシャでとても参考になった。
興味深い紹介ばかりでぜひ読んでみたい本が多かったのに未邦訳が多かったのが残念。
女性蔑視の状況が似ている韓国のフェミニズム本がどんどん翻訳されてほしい!

特に気になったタイトルでぜひとも翻訳されて欲しいなと思ったのが
・『エガリアの娘たち』ゲルド・ブランテンベルグ
・『女の誕生ー大韓民国で娘たちはどのようにして女性らしい女性として作られるのか』ナ・イム・ユンギョン
・『あなた方は春を買うが、私たちは冬を売る』社団法人 性売買被害女性支援センター「サリム」
・『あの男はなぜおかしくなったのだろう』オ・チャノ
・『女嫌いー女が何かした?ーキムチ女からママ虫まで日常化した女性差別と嫌悪を告発する』ソ・ミン
出版社さん、翻訳よろしくお願いします!!!🙏🏻

いただいたサポートはアウトプットという形で還元できるよう活かしたいと思います💪🏻