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命をつなぐ教育 ~イスラム教の犠牲祭で感じたこと~

犠牲祭 Idlu Adha

イスラム教では断食月からほぼ2か月後、犠牲祭と呼ばれる儀式があります。アブラハムが長男を神様に捧げものとして供したというコーランの記述によるものです。牛や山羊を実際に屠り、その肉を神様に供えたのちに食べます。また喜捨として近隣にも振舞います。

街中に山羊や牛が現れる

モスクで寄付を募り牛や山羊を買い求めます。住宅地にあるモスクでも空き地には山羊や牛がつながれ、子どもたちは餌を食べさせたり、触ったり.…

屠る日

夜明けとともに祈りが町中に響き、それぞれのモスクで屠殺が始まった。1頭、また一頭。子どもたちも集まり見守る。男衆が牛の四肢を縛り長老が宣言とともに研ぎ澄まされたナイフが牛の頸動脈を切る。バナナの葉で作られた覆いが見学者の視線を遮るが、断末魔の呻きと流れる血の音が響き一つの命が捧げられた。

命の終焉を見守る

夏祭りに集まるように、子どもたちは毎年この儀式を見ているのでしょう。命の終わりを目の当たりにし、生き物を食すことへの畏敬の念が体にも心にも沁みついていくと感じました。日本の義務教育では「解剖」の実験から遠ざかっていると聞きます。「怖い」「気持ち悪い」「トラウマになる」.…そして何よりも準備が大変で、解剖を指導する先生たちにも覚悟が必要だし。
地域をあげた宗教教育を目の当たりにした熱い1日。屠られた牛の肉を感謝して食した1日でした。






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