映画:ブルーバレンタインタイン考察(ネタバレ)史上最悪のベッドシーン
アマプラでもNetflixでも配信期間を逃してしまって観れていなかったブルーバレンタインをとうとう観た。
私なりの考察を書いていこうと思うのだが、視聴中は終始胃痛がしてこの記事を書いている今もみぞおちが重く、脱力感に襲われている。
一言で言えば、この映画は確かに存在した筈の愛が色褪せて消えるまでをジワジワと首を絞めるように描いていく映画である。
何故ここまで見ている者を苦しくさせるのか。
それは誰もが人生で一度は体験するであろう愛とその残酷な現実を圧倒的なリアリティを持って描いているからである。
映画のジャンルは一応ラブロマンスとなっているが、安易に付き合いたての恋人や辛うじて関係を繋ぎ止めている恋人と観るのは非常に危険な映画である。
反対にしっかりと心が繋がっている恋人と観れば得るものは非常に大きいと思う。(私は一人で観たが。)
■破綻寸前の夫婦関係
※ネタバレなし
ライアン・ゴズリング演じるディーンは妻のミシェル・ウィリアムズ演じるシンディへの愛の深さだけが取り柄の典型的なダメ夫である。
朝から酒を飲み、定職にはつかず、人の家のペンキ塗りを手伝うだけでダラダラした生活を送っている。娘への愛情もたっぷりだが、ふざけた遊びを教えるだけのいいとこ取りで、片付けや躾は全てシンディ任せ。
シンディが絵や音楽などの才能を活かした仕事をすすめてもまともに取り合わず、現状の自分に満足してしまっている。
おまけに髪は後退、ペンキだらけの小汚い身体とビール腹、というどこまでも残念なおっさんである。
対してシンディは看護師として育児と両立しながら働いている。ダメ夫を汚物をみるような冷めた目で見ており、娘の存在が二人の夫婦関係を辛うじて繋ぎ止めている状態である。
シンディは夫に稼ぐことを求めていない。
ただ酒に溺れただらしない生活をやめて欲しいとお願いをしているだけである。
いつまでも現状を変える気のない夫への愛情は冷め切り、触れることも目を合わせることもなく、小競り合いをする価値さえないと感じている。
※以降ネタバレに注意
■【以降ネタバレ】ロマンチックのロの字もないベッドシーン
冷え切った夫婦関係をどうにか立て直そうと考えたディーンは、ある日シンディを強引にチープなラブホテルに連れて行く。
しかし、シンディはディーンを徹底的に拒絶する。
キスをして触れようとするディーンをかわし、それでもなんとか雰囲気に持っていこうとする夫の体を引き剥がそうと顔を推し避けて必死に抵抗するシンディ。
ディーンがいつまで拒絶するつもりだと言うと、握り拳に鬼の形相で歯を食いしばりながら湧き出す拒絶反応を押し殺して行為を進めようとする始末。
ディーンもそんな妻に「欲しいのは身体じゃない、君自身だ」とまた口論に。
部屋に立て篭もり体育座りで涙を浮かべるシンディ。
シンディは自分自身でもコントロールできないほど生理的に夫を受け付けられない状態になっており、自分自身がもう限界に来ていることを悟る。
■別れる理由を探す妻
シンディは終始ディーンと別れる理由を探している。
ラブホテルに行く道中で娘の実の父親である元カレに遭遇した話をディーンに敢えて伝えて怒らせる。
地獄のベッドシーンでは拒絶を重ねた挙句、自分を殴ればいいとディーンを挑発する。
しかしディーンは絶対に彼女に手を上げない。
そんな態度が更にシンディをイラつかせる。
シンディの職場にディーンが乗り込むシーン。
職場の上司がシンディ目当てで彼女を雇った事実に勘づいて怒る夫に対し、「しつこい、女々しい」と吐き捨てる。
あの手この手を使ってディーンを傷つけては、ディーンから「もう耐えられない別れよう」という言葉が出るのををまだかまだかと待ちのぞんでいる。
しかし彼女を愛しているディーンは暖簾に腕押し状態で、彼が追いかけて来れば来るほど彼に対する嫌悪感は膨らんでいく。
■地滑りにように崩れていく愛
着実に終わりへと向かう夫婦関係と回顧する様に展開される出会った頃の二人の関係の対比が目を背
覆いたくなるほどにエグい。
終わるとわかっているからこそ、過去の思い出がより一層輝いて見えるのだろう。
観ている側はお願いだからなんとか踏みとどまってほしいと願ってしまう一方で、既に地盤がぬかるみにようになっていた二人の夫婦関係は地滑りのようなスピードで崩壊していく。
シンディは確かにディーンを愛していた。
当時大学で医学の道を目指すシンディと中卒で引っ越し屋で働くディーンは不釣り合いではあったが、本気で惹かれあっていた。
シンディが元カレの子供を妊娠していると判明しても、ディーンは彼女のすべてを生涯愛し抜くと誓い、シンディもその優しさに胸を打たれ愛を誓った。
ウクレレで歌うディーンと歌に合わせてデタラメに踊るシンディの名シーン。
お金も周囲の言葉も何も気にならない、ただ一緒に居るだけで幸せと感じる瞬間は確かに存在した筈なのに。
些細なボタンの掛け違いがむくむくと芽を出しどうすることもできないほど大きな亀裂に成長してしまっていた。
シンディは耐えに耐えたのだろう。
恋の盛り上がりが賞味期限を迎えると、徐々に相手の嫌いな部分だけが目に付くようになる。
時間の経過は二人の現実を浮き彫りにする。
夫が嫌悪の対象となってもなお、彼が自分に注いでくれた愛情や夫への恩と情、子供のために良い家庭環境を築きたいという様々な要素を天秤にかけては、自分の気持ちに蓋をしてきたのだろう。
自ら草むらに投げ捨てた結婚指輪を探すディーンを手伝うシーン。今すぐにこの人と別れたいという心の声と見捨てきれない夫への情。
彼女は徐々に積み上がって行く夫への不満と嫌悪を見て見ぬふりし、彼をみくびって真剣に向き合おうとしなかった。
一方でディーンは愛を過大評価し過ぎていた。
愛さえあれば温かい家庭を築ける、どんなことがあろうと自分が愛してさえいれば妻は離れていかないと鷹を括り、彼女に自分の幸せのカタチを押し付け続けた。
彼は独りよがりの愛情で自己陶酔し、シンディの気持ちに向き合おうとしなかった。
■手遅れになる前に
どちらが悪かったのか。
同じ女性としてシンディ側に同情したいところだが、どっちもどっちである。
これはお互いが真剣に対話をしようとせず、長年綻びを放置し続けた結果である。
夫婦、恋人間にいつまでも変わらない愛など存在しない。
彼らの間にあるのは親が子に抱くような無条件の愛とは少し種類が違うからだ。
結婚とは血の繋がっていない他人同士がただ相手の好きな部分を理由に生活を共にしているだけである。
一生の愛を誓う契約だと言われるが、決して永遠の愛が保障されているわけではない。
お互いへの尊重や思いやりの心を忘れ、すれ違いを甘く見ると、その関係はある日強制シャットダウンとなる。
ここまでくるとディーンが何度も繰り返す「愛してる」のセリフはもはや何の効力もない。
これは両者に愛情が存在しているときに初めて力を発揮するのである。
彼を「もうこれっぽっちも愛していない」シンディにとってはもはや独りよがりの気色の悪いセリフでしかないのである。
かつて二人を結びつけた筈の言葉が、ここでは二人の心を更に引き剥がす言葉となっている。
この映画は「相手との綻びに気づいていますか。見て見ぬ振りはしていませんか」と問いかける。
言ったところでどうせ変わらないだろう
相手がどうにかしてくれるだろう
長年一緒にいるのだから許してくれるだろう
惰性と諦めと甘えで相手をみくびり、なんとなく続けていく関係性の危険性を警告している。
永遠の愛なんぞに胡座をかいてはいけない。
相手が大切なら本当に手遅れになる前に問題に向き合わなくてはいけない。
常に相手に歩み寄ろうとする努力を怠ってはいけない。
そうしなければ本物の愛も瞬く間に崩れ落ちるということを、名優の圧倒的な演技力と心をえぐるような描写で観るものの心に刻み込む。
大切な人と永遠の愛を実現させたい人、曖昧な関係に終止符を打ちたい人、必見の映画である。
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