『清史稿』「劉藻伝」③
【原文】
二十二年、擢雲南巡撫。加太子少保、兼領貴州巡撫。二十九年、例行大計、巡撫図爾炳阿未至、藻疏請先期挙行。上嘉之、旋授雲貴総督。三十年、疎言「年来木梳野匪与緬甸所属木邦構釁、又与耿馬土司毗連。自木邦至滾弄江、応設卡防守、請於各土司就近派撥。」詔如所請。
【書き下し】
二十二年、雲南巡撫に擢さる。太子少保を加え、貴州巡撫を兼領す。二十九年、大計を例行し、巡撫図爾炳阿未だ至らず、藻疏して先期に挙行するを請う。上之を嘉して、旋に雲貴総督を授す。三十年、疏して言うらくは「年来木梳の野匪と緬甸に属する所の木邦構釁し、又た耿馬土司と毗連す。木邦より滾弄江に至り、卡防の守を応設し、各土司の就近に派撥するを請う。」と。詔して請う所の如くす。
【語釈】
・太子少保 皇太子を指導する官職。清代には名誉職となった。清代での官職表には記載がなかったので、官位や役職についてご存じの方がいらっしゃればご教授下さい。
・例行 規範に則って処理する。(漢語大辞典)
・大計 重大な計略や謀略。(漢語)
・図爾炳阿 佟佳氏、满洲正白旗人。
・旋 すぐさま
・構釁 恨みに思う。(漢語)
・毗連 連続する。(漢語)
・滾弄江
・卡防 関所の警備
・就近 付近。(漢語)
・派撥 派遣する。(漢語)
【現代語訳】
二十二年(1757年)、雲南巡撫に抜擢された。太子少保の役職を加増され、貴州巡撫を兼職した。二十九年(1764年)、重要な計画を規範に則って処理したが、巡撫の図爾炳阿がまだ到着しないうちに、劉藻は上奏して期日より先に挙行すること請求した。乾隆帝はこのことを喜んで、すぐに雲貴総督の位を授けた。三十年(1765年)、劉藻は上奏して言った。「ここ数年木梳の野党と緬甸に属している木邦がお互い憎み合っております。(木邦は)耿馬土司ともとなり合っています。木邦より滾弄江にかけて、関所の守備隊を増設し、各土司の付近に守備隊を派遣することを請願いたします。」(乾隆帝は)詔を出して請願したようにさせた。