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余生を生きている感覚
今日のピックアップツイートのコーナー。
なんてものは今までなかったけど、気が向いたのでとりあえずやってみましょう。ピックアップするのはこちらです。
今は余生を生きてる感覚。
— ヤンヤン 中国四千年のハゲ👴 (@AcYang5) October 26, 2020
だから高望みしたい欲は、あまりないんだよね。
あるとすれば深望みかな。
深いですね。
魂を刻んだことのある人の、そして自分が何に幸福を感じるかを理解している人の言葉だと思いました。
私も余生を生きている感覚になったことがあります。病がきっかけでした。その病で手術もしましたが、再発したら予後は恐らくないと宣告される病でした。20台半ばのことで、親を始めとし周囲は皆動揺を隠せず私を必死に気遣う中でしたが、意外と私は誰よりも冷静で客観的でした。この宣告を受けた時に真っ先に思ったのは、周囲への心配と同時に「ここから先の人生は全部拾いもんだな」ということでした。
いきなりの重ための話になってしまいましたが、お陰様で再発することなく今に至っており、病は完治しています。
そんなことも日々に追われているうちにすっかり忘れ去ってしまっていました。大きな出来事だったはずなのにこんな始末なので自分も余程のバカだなあと呆れ笑ってしまうのですが、一方で、人の子の親になったことで親が激しく動揺したことも痛いほど分かりますし、今罹ったら私も恐らく冷静ではいられないでしょう。それだけ移ろい変わったのだとも思います。
ただ、今を生かしてもらえている幸運を時に思い出すことができれば、辛いことも受け入れられそうだな、大したことないと思えそうだな、命取られるわけじゃないしな、と感じていられそうな気がします。そう振り返ることができました。
ヤンヤンさん、ありがとうございました。