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おっくうを乗り越える

古賀及子さんの『おくれ毛で風を切れ』を読んでいる。

観たい、けど観ない、なんだか映画はそういうものになってしまった。
で、観たら案の定、最高に面白くて、ああ、こうして機会を作らなければ観ないままだったのだからおっくうが憎い。

『おくれ毛で風を切れ』より

そんな一文があって、「ああ、わかるなあ」と勝手にうれしくなった。

著者の古賀さんは、友達と約束して一緒にNetflixの映画を観たそうだけれど、わたしの場合は、その約束の相手がパートナーであることがすっかり多くなった。

今年に入ってから、Netflixで、「幽遊白書(実写版)」「侵入者たちの晩餐」「VIVANT」「パルプ・フィクション」「BLUE GIANT」などを観た。

わたしは正直、映像コンテンツ(特にサブスクリプション)を観るまでものすごく腰が重く、おっくうになることが多くて、「えいや!」ときっかけを作らないとなかなか観ない。対して、彼はわたしよりずっと、その視聴に対して腰が軽く、ある意味わたしにとっての「えいや!」になっている。

常々、彼は自分にとって心地よい人の一人だと思うのだけれど、その一端には「会いやすさ」があるように思う。会うことに対して、物理的にも精神的にも苦労を感じない。

何気なく「〇〇が気になっている」「〇〇を観たいと思っていたけど、タイミングを逃しちゃった」という話をすれば、「じゃあ観ましょう」と約束して、わりとすぐ実現する。

会いやすさと、約束が、かっちり連動して、おっくうをたやすく乗り越えさせてくれているのではないかと思う。それは観るに限った話ではなくて。

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のん
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