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「絵を描くのが好き」ってずっと言えなかった。
少なくとも、ここ3〜4年で知り合った方々にはあまり言ったことがないのだけれど、わたしはイラストを描くのが好きだ(もっとぶっちゃけると、好きな作品のファンアートを描くタイプのオタクでもある)。仕事にしたいわけではなく、あくまで趣味として。
中学生の時は、美術部に所属していた。毎日のように絵を描いていた。10分間の人物デッサンを繰り返す、絵画の模写、体育祭の巨大な横断幕、イラスト……。授業中は、眠気覚ましのためにノートの端っこにひたすら目を描いたり(今もたまに描いちゃう時がある)、別途落書き用のノートを用意して、コソコソ絵を描くような学生だった。
けど一時期、絵を描くことに自信がなくなり、だんだんと描かなくなったことがある。それが高校生〜大学生くらいの時だ。
高校に進学した時、美術部には入らなかった。当時通っていた高校の美術部は全国2位のレベルを誇っていて、そのレベルの高さと、裏打ちする運動部と変わらないストイックさに怖気づいてしまった。
友人に同部の子たちが結構いて、彼女らの作品は、学校の廊下に何点か飾られていたりもした。まあ、もう、その絵がべらぼうに上手い。主にアクリルや油絵で描かれた人物画や風景画に、何度足を止めたことだろう。
だんだんと、自分の描くものに恥ずかしさを覚えた。今以上に強い劣等感を抱きやすかったわたしは、「絵を描くのが好き」ということが徐々に言えなくなり、描くこと自体から距離を置くようにもなってしまった。
「描く」も、筋トレと同じ。コツコツ積み上げていかないと、あっという間にその筋力は落ちる。思ってる以上に描きたいものが描けなくなる。時おり気まぐれに筆を持ってみても、全然楽しくない。その状態が、大学生活の途中まで続いた。
再び「描く」趣味が復活したのは、推しコンテンツとの出会いと、距離を置いてサボっても描くことへの「好き」が完全に消滅したわけではなかったから。好きなものを、好きなやり方で、好きと言いたかったんだと思う。そうして、匿名性が高い状態でファンアートを描くことを楽しむようになった。一方で「絵を描くのが趣味です」とリアルな友人や知り合いに伝えようとは思えなかった。
ところが先日、このnoteとも連携しているTwitterアカウントで、はじめてちょっとしたイラストを投稿した。以前はそんなことしようなんて、思えなかったのに。一体どんな変化が? と聞かれても、ちょっと答えに窮してしまう。今言えるのは、なんだかもう、そういうのいいや!、ってパッと思えたのだ。
「絵を描くことが好きなわたし」を黒歴史みたいに扱いたくない。誰かから馬鹿にされたことなんて、ほとんどなかったはずじゃないか。堂々と好きなものを好きと言いたい。
もしかしたら、ここ最近のたくさんの出会いの影響なのかも。「はずかしい」「わたしなんて」。最近、ほんとうにそんな自分に「んもう!」ともどかしい思いがする。ゼロにするのはなかなかむつかしいことだろうけど、そろそろ、そういう呪いめいたものを解いていきたい。ささやかな、あのイラスト付きのツイートも、その呪いを解く解除法のひとつなんだと思っている。
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