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依存って、よろしくないことだと思ってたよ。
15歳の時、初めてできた彼氏に対してとても依存していた。思い返すと「うへぇ」、となってしまう苦い思い出。
1年ちょっとお付き合いをしたけど、時間が経てば経つほど依存の度合いは増していってしまった。メールの返事がないと落ち着かないし(まだガラケーを使っていた)、おはようからおやすみまで繋がっていたかった。彼に会えるとわかれば先に約束していた友人との用事をリスケしてしまう。ひどい時はキャンセルしてしまう。
優先順位のピラミッド、その頂点に元カレがいた。一時期、友人たちとの関係もギクシャクしてしまった。不安になると、食事がのどを通らないこともあった。
当時の自分に会ったなら、拳の痛みなどお構いなしに殴りたい。「ばかやろう、もっと冷静にならんかい! いろいろ大事なものを失いかけてるぞ」。そんな気持ちを込めて。ヤツに言葉は通じないから、きっとパワーで何とかするしかない。
その後お別れして、かなり引きずったのだけど、突如として夢から醒めた瞬間があった。15歳のころの自分を思い返しては、「おバカだったなあ……もう、ああはなるまい」、と戒めてきた。依存ってロクなことがない、もっと心を自立させよう、しっかりしようぜ! と。
そう、自立の対極にあるのが依存だと思っていた。けどそうではないらしい。
小児科医・熊谷晋一郎さんによる「自立」の考え方に、目を見張った。
依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できます。“健常者である”というのはまさにそういうことなのです。世の中のほとんどのものが健常者向けにデザインされていて、その便利さに依存していることを忘れているわけです。
実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、“自立”といわれる状態なのだろうと思います。だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。
依存自体に問題があるのではない。むしろ依存は当たり前のことで、問題はその数にある。依存先が多ければ多いほど良い。
15歳のわたしをまた思い浮かべる。あの時のわたしは、あの人しか依存先がなかった状態だったんだ。決して、心が豊かだと言える状態ではなかったんだ。
もうひとつ気づいたのは、“恋人に依存していた自分”とは、さよならグッバイしていたと思ってきた。けど実際は全然さよならなんてしていない。そうではなく、鳴りを潜めているだけなんだなぁ。ただ、あの時よりもずっと「依存先」が増えている。コミュニティが広がっているから、薄れているように見えるだけなんだ。
15歳のわたし、あの時は必死で、どうしようもなかったね。殴りたいとか言ってごめ……いや、でもやっぱり、まだその気持ちも少しあるなぁ、ごめんよ。
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