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あなたと話したくて、漫画を貸していた。

学生の頃、よく自分で集めていた漫画の単行本を友だちに貸していた。「あの作品、面白いんだあ」と話したとき。少しでも「この人、興味ありそうだな」と思うと、すぐに「読む? 持ってくるよ」と続けていた。今思うと、割と押し売りに近かった気もする。

とはいえ、中には猛者もいて、何十冊と借りていく友人もいた。「これ面白いよ」「○○、好きだと思う」と言うたびに、「えー! 読みたい、借りていい?」と言ってくれるのが嬉しかった。作品自体もそうだけど、何より”私が”好きなものに興味を持ってもらえたことに、喜びを感じていたんだと今ならわかる。

そこからさらに、「いつも借りてばっかりだから……」と相手がおすすめを貸してくれる時もあった。貸そうと思ってくれた気持ちがありがたいなあと思った。

あのとき、たくさんの漫画を貸し借りした友だちは、遠くへ行ってしまったり、社会人特有の忙しさで疎遠になったり、物理的に距離ができてしまった。仕方のないことだ。もう当時のように何かを貸し借りする機会はだいぶ減った。

何でこんなことを思い出したかというと、お笑い芸人ハライチの岩井勇気さんのツイートを読んだからだった。

「それがコミュニケーションってことだよ」という言葉が、胸にすとんと落ちた。ああ、あの時、学生の頃の私はそういうことだったんだなと。

学生、特に中学1年生の頃は、あまり良い思い出はない。当時はクラスメートと馴染むことはほぼなく、学校へ足を運べても、保健室へ逃げることもあった。早退したり、仮病を使って休むこともあった。あの頃はどうしても忘れられないし、最近乗り越えたつもりでいたけれど、そんなことはなかったと思い知らされた。

当時、救いだったのは、クラスだけが私の世界ではないとわかっていたことだと思う。部活動や委員会、家族、転校する前の友だち、塾などの習い事。クラス以外の環境があって、それぞれのコミュニティが確かに存在していた。

漫画の貸し借りは、クラス外のコミュニティ内で行なわれていた。といっても、学校で漫画の持ち込みをすることは禁止行為だったので、不透明なビニール袋に入れて、鞄の底に隠し持っていた。放課後になると、自分の鞄の近くに相手がいることを確認し、「これ……」と小声で声をかけ、素早く袋を受け取ってもらう。密輸でもしてんのか?みたいなやり取りだった。

特にあの時は、好きなものを知ってもらって、教えてもらう、そういうコミュニケーションに飢えていたんだなと思う。やらずにはいられないことだったんだな。あの伝達活動がなかったら、私はいよいよ息ができなかったかもしれない。

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のん
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