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生活に溶け込む、便利のありがたさ。

本日のnoteは、シャワーの水圧が数日間弱まってしまった、という日常に起きた小さな事件のことです。昨日直りました。

あれ? と違和感を覚えたのは、ちょうど1週間前くらい。シャワーのお湯で髪の毛をすすごうとしたら、いつもより勢いがない。普段はちょっと待てば勢いが戻るのだけど、その日は待てど暮らせど変わらない。結局、「まあ、明日には調子が戻ってるかな?」なんて能天気にそのままシャワーを使いました。

ところが次の日使うと、前日以上に弱々しい。こりゃ大変だ! さすがに家族の中でも話題になる。シャワーの下にある蛇口の勢いは変わらないから、どうやらホース周辺に問題ありそう、とのことだった。

わたしは、zoomやら、旅行の予約やら、役所関連の申し込みやら、そういうインターネットに関わることだと、すぐ家族から「のん~」って呼ばれる。けど、それ以外のこととなるとほぼ蚊帳の外。父と母で何やら話し合っている。特に今回は父のターンだった。

「お父さんが、次の土曜日にホームセンターに行って材料揃えてくるって」と母。自力で直せるものなんだ! という驚きと、業者さんを呼ぶほどの大事にはならないようで、ちょっと安心した。土曜日までは「桶とか使って対応してね」という母からのお達しが出た。

そんなわけで、一昨日までシャワーをほぼ使わずにいたのだけれど、もう、本当に、シャワーのありがたさが身に染みた。

桶にお湯を溜めて頭からかぶると、全然シャンプーが流れ落ちた感じがしなくて心もとない。髪の上をお湯が滑り落ちているだけで、中まで染み込んだ石鹸が、絶対に落ちてないことがわかる。かぶる瞬間と手を動かすタイミングを同じにする、それを何度も繰り返す。はじめてではないけど久々にやると、こんなに大変だったっけ? とびっくりする。

あと気づいたのが、なにも思いつかない、ということ。以前書いたnoteで、「シャワーを浴びていると、突然ひらめいたりする」と書いたけど、その体験がない。シャンプーがちゃんと落ちたかどうかや、正直工程の多さにちょっとイラッとしたりと、考える余白が無くなってしまうのだと思う。

昨日、父の手によってシャワーホースが付け替えられ、従来の勢いが戻ってきた。父さん、ありがとう。洗う時間がまた短くなりました。

本当に、便利さが生活に溶け込んでいると、そのありがたさになかなか気づけないものだなあ。

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のん
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