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「対等」ってなんだろう。

「対等」って、なんだろうなあと最近よく考える。

情けない話だけど、わたしの中には「学歴とか、キャリアとか、くそくらえじゃ!」と肩をいからせている自分と、その一方でそういうものに劣等感を抱き、落ち込んだり萎縮してしまう自分がいる。

この、器が小さい状態が一生続くのは、しんどいなあ……と思う。いま受講中のTHE COACH Academyのプロコースで、そんな自分を見つめている。このコースは「自分の在り方」を探求するものでもあるからだ。

自分と相手を上下の視点ではなく、もっとフラットに、「対等」だと思えるようになるにはどうしたらいいんだろう。そもそも、「対等」って何なんだろなあ。

そんな時に出会った、テレビプロデューサー・佐久間宣行さんの著書『佐久間宣行のずるい仕事術-僕はこうして会社で消耗せずにやりたいことをやってきた』、その第2章『人間関係編』の一節がある。

褒めることに慣れると、対抗心も嫉妬心もいつの間にかなくなっていく。
『佐久間宣行のずるい仕事術-僕はこうして会社で消耗せずにやりたいことをやってきた』佐久間宣行(著)

読んだとき、鼻の奥がツンとした。

「だれかのいいところを見つけるのは気持ちがいい」「褒めることは、相手の武器がわかることだ」と佐久間さんは言う。そして、「褒める」ことが癖になると、相手への対抗心や嫉妬心――わたしにとっての「劣等感」の大部分を占めるものが、消えてしまうと。

ふと、「バトンズの学校」の最終講義を思い出した。

「相手に嫉妬せず、心から拍手を送れる自分」になるには、嫉妬することがないくらいの自信を持つこと。これから目指すべきライター……だけではなく、人の在り方として、学んだことのひとつだ。

話を聞いていた当時、正直「果てしない道だな」と思った。講義動画、フィードバックの復習、実績。そういったものをもっともっと積み上げて、磨いていかなければ、そんな自分にはなれない。常時劣等感にまみれているわたしには、遠いなあ。「嫉妬することがないくらいの自信を持つために、相手と同じ目線で立てるように、とにかく頑張ろう、わたし」と必死で言い聞かせてきた。

けど、そういうことじゃなかったんだな。

もちろん、自信を持つために研鑽を積むことは大事だし、やりたいし。でも、惜しみない拍手を送るために必要なのは、そうやって自分を強く強くしていくことだけじゃないんだなあ、と、そんなうれしい気づきがあった。

そして「対等」とは、なだらかな目線で相手を見つめ、どこが素敵か、素晴らしいかを真っ正面から伝えることができる素直さなのかもしれないと思った。


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のん
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