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自炊への心づもり
山口祐加さんの『自分のために料理を作る 自炊からはじまる「ケア」の話』を読み終わった。
「自炊料理家」として活動する山口さんが、精神科医の星野概念さんとの対話も交えながら、自分のために料理ができないクライアント6人に対して行った3ヶ月間の「自炊コーチ」実践の記録を交えながら、三者三様の「料理ができない」を分解し、「自分のために料理をすること」はどういうことなのかを紐解いているのだけれど、本当にすばらしい本だった。
本の中で、「自分なら何のために料理をするのだろう?」と考えてみてほしいと問いかけられて、自分はどうだろう?と思った。
ここ数ヶ月で、自分(とパートナー)のために料理を作ることに考えを巡らせることが増えた。まだ実践はあまりできていないけれど。
無理せず、丁寧に暮らしていきたいなとよく考える。それはSNSを通して他人に見せるための「(ハッシュタグ)丁寧な暮らし」ではなくて、自分で自分をケアできる暮らしをしたいということ。その中核に、“料理”はかなり食い込んでいる。
これまでずっと、食事のほとんどを母に頼ってきた。母は栄養士の資格を持っていて、贔屓目無しに料理がうまい。たとえば外食で食べたメニュー、アルコールドリンクのCMでちらっと映ったおつまみなどをすぐ再現できてしまう。
それはきっと、この調味料を何のために使用するのか?何のために食材に切れ込みをいれるのか?とか、そんな料理に対するロジック、骨組みがかなり頑丈だからなのだと思う。
子どもの頃から、そんな母に無意識のうちに畏怖の念を抱いていたし、「こうはなれない」と思っていた。母がいる時に台所で料理をすると、「こうしたほうがいい」とヤイヤイ言われて(いま思うととても合理的なアドバイスなんだけど)、イーッと手際の悪い自分が嫌になった。台所に立つのが、気づいたらかなり億劫になっていた。
加えて自分はけっこうな偏食で、いざやってみてもつくる料理の栄養バランスが偏りそうだし、体がボロボロになったり、太ったりするのでは……そんな自分に自炊はむずかしいのではと思い込んで、避けてきた。
一方で、「料理ができる」「料理をすることが日常に溶け込んでいる」ことへの強い憧れをずっと抱いてきた。
「料理ができるようになりたい」「食事で自分を整えられるようにしたい」「大切な人のために作れるようになりたい」「無理しそうでちょっと怖い」。
家を出て、自炊をしやすくなる環境に変わっていくことは、こうやって心の中でずっと抱き、先送りにしてきた宿題がもう目と鼻の先くらいに迫ってきているのだと思う。
そんな風に、自炊することに、不安とワクワクが入り交じっているいまの自分にぴったりな気がして読み始めた。
読んでいる内に、料理することに対する無意識の偏見、誤解が解けていくのを感じた。
本の中で、「食べられないものを食べられるようにするのが料理」という話もあって、偏食な自分にとって励まされる言葉だった。色々「どうやったらこの苦手な食材を食べられるかな?」って考えられるようになったら、自分で自分を心強い存在だと、心から思えるんじゃないかな。
これからの、自炊への心づもりの参考になる。いま読めてよかった。
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