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半熟日和

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“未熟で、ままならない日々を書く”。毎日書いている400字以上のnoteをまとめています。現在は土日祝日を除く週日更新です。800本を機に「毎日note」から「半熟日和」にマガジ…
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2024年2月の記事一覧

4年に一度の日でも、馴染みのある一日

仕事帰り、カフェで人を待つ。 両隣の席に、それぞれ二人組の女性が座っていた。はずむように会話をしている。どちらかと言えば、左隣のペアの会話の方が耳に入ってくる。 女性の一人が、見ただけではわからない怪我を足に負っているという。その経緯を熱心に話していて、相手も熱心に聞いていた。引っ越しの荷解きをした際に起きた災難だったようだ。ほどなくして、全く違う話題に移り変わっていた。 ハッとして、もう盗み聞きしてしまわないよう、耳に会話が入らないよう、意識を別のものに移そうと試みる

プリンがおいしいと喜べればそれで

SNSに関して、「情報を取りこぼすのが怖い」という恐れを抱えている自分が常に内側にいた。 けど最近は、必要なものは必要なときに自分の目に入るのでは? 何もかも拾うのは無理ゲーでは? ということが、やっと腹落ちしてきている。以前は「そんなこと言ってもさあ」とどこか無視していた。とはいえ、「常にいた」と過去形で書いてはみたけれど、完全に消失したわけでもない。まだこの感覚は残っていて、思うことはたくさんある。 数時間前、うっかりかつて好きだったアイドルに関する雲行きの怪しいSN

ネイルカラーと決断力

連続で、担当ネイリストさんが同じだ。「よろしくお願いします」と目の前の席に座る様子を眺めながらすぐに気づいた。 ジェルネイルをするようになって1年が経った。けど、通っているサロンでネイリストの指定はしていない。サロンのスタッフ人数は正確に把握しているわけではないけれど、少なくともこの1年の間、5人のネイリストの方に施術を行ってもらってきた。どのネイリストも全員マスクを着用しての接客をしているので、誰1人としてマスクなしの顔は知らない。 目の前で施術を始めようとしているネイ

選び取って、手放すことについてばかり考えている

自分がまた、選び取っていく段階に入ってきているんだな〜と最近よく思う。5月に生活拠点が変わるから、なにを残して、なにを持っていくかとか。 たとえば、自室で本棚を目の前にしたとき。そこからあふれ出て、床の段ボール箱に積みあがったビジネス書や小説、漫画などと言った積読も含めた書籍を見ると「近いうちに床に置くのはやめなければならないんだよな」とぼんやり考える。今日は思い立って、数冊をエコバッグに詰めてBOOKOFFへ持ち込んだ。名残惜しいけれど、物理的な質量というのはどうしても目

留まる

頭の中がしょっちゅう連想ゲームになる。話を聞いていても一つのワードに反応して、脇道に逸れていく。 雑談するときも、気がつくと「最初なんの話してたっけ?」と思うことが多々ある。 よく言えば発想を飛ばして考えられる、と言えるんだろうけど、一方で、一つのことをずっと考え続けるのが苦手とも言える。 集中力がないとコンプレックスを感じていたのが、どちらかと言えばそういうタイプに特化しているだけで、決して劣った部分ではない。 なんてことに自覚的になったのはここ1〜2年くらいの話で

由々しきこと

「3月31日をもって閉店いたします」 地元の駅ビルの中にある本屋に立ち寄った。ぼーっと店を出たとき、見慣れない立て札が目に入る。最初は文章をまともに確認せずに横切った。とんでもない存在感を放っているわけでもなく、控えめに置かれた立て札。けど、なんだかただならぬ雰囲気を感じて、後退りしたのだった。 閉店! その内容は衝撃的だった。嘘でしょ、と思った。声には出さず、(たぶん)顔にも出さず、じっと並ぶ文字を見つめる。「ご愛顧ありがとうございました」といった文章もあった。 中

タトゥーシール

朝、3日前くらいの夕飯だったホワイトシチューライスを食べる。健啖な自分に感謝する。 ホワイトシチューは母が作ってくれたものだけど、こういうのがしばらくしたら当たり前じゃなくなるんだなあということを、最近よく思う。 握ったスプーンに視線を落としながらシチューを掬っていると、視界の端に、手首の裏側に貼り付けたタトゥーシールが見えた。2月18日の『オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム』のグッズだ。現地へ行く前に、どうせなら浮かれるだけ浮かれたいと、首や手の甲、手首に数

最高にトゥースな時間

「漫才とラジオを信じてきてよかった」 漫才が終わったあと、最後の最後にオードリーの若林正恭さんの言葉、そのカッコよさにぐっと来ていた。 2024年2月18日、「オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム」に現地参加した。 このイベントのことを時間をかけてじっくり書こうかしら、と思ったけれど、なんだかどんどん記憶が薄れて、色々な情報に上書きされてしまいそうで、とりあえず書き散らかすことにした。 センターステージにラジオブースがせり上がってきたとき、思わず、小さく歓声

プロフィール画像

リアルで会った人が、目の前でわたしのTwitterやnoteのアカウントを見ると、けっこうプロフィール画像に触れられることが多い。 「アカウントのイラスト(プロフィール画像)ってどうしたんですか?」といったことを聞かれることがある。 あくまで自分の肌感なのだけれど、「誰かに描いてもらったんですか?」というニュアンスが強いような気がする。なので内心もじもじしながら、「自分で描きました……」と伝えると驚かれるように思う。 マイブームのSNS、ブルースカイのプロフィール画像を

写真月報(2024年1月)

情報酔いの日々での癒し

Blueskyにアカウントを登録して、1週間経った。たった7日間しか経っていないとはいえ、ハマっている。といっても、ずっとタイムラインに張り付いてしまうとか、そういうことではなくて、すごく気が楽なのだ。 別に見られても、見られなくても、なんとも思わない「つぶやき」を、そこそこの頻度でBlueskyに投稿している。なんだったら、Blueskyで下書きのようなものを投稿して、類似の内容をXに、なんてことも最近はよくある。 正直、特にXの「おすすめ」欄に辟易する日々。自分にとっ

動けるようになってきた気がする

2月ももう少しで折り返し地点であるということに、「明日はバレンタインデーじゃん」と気づいてから、気づいた。二段階の気づき。 「5月ごろに実家を出る予定だ」という話をけっこう大っぴらに話すようになって1、2ヵ月ほど経った。 ぼんやりとその話を覚えてくれている人からは、大体「もう引っ越したんだっけ?」か「いまどんな感じなの」といった風なことを聞かれる。 この前、生まれて初めて内見を体験した。 依頼している不動産屋が「サンプル内覧」という本気の内見前に行う、住みたい家や街の

面影を重ねる

最近、別のSNSで「おなかすいた」とか言いたいのに、言いにくい。わたしは誰に、何に、気を遣っているんだろう。 特に2024年に入ってから、なんだかSNSに対してカチコチになってしまっている自分がいる。 息苦しいなあって思うんだけど、じゃあなんでそう思っているのか。浮かぶ理由はいくつかある。一つは、きっと今、あっちへこっちへ色々なことを考えてしまって、心の余白が無くなってきている(モヤモヤはセッションの入り口だし、コーチングを受けようと思う)。 けどnoteはちょっと違う

霧散

帰宅中、とある店の前に電子ディスプレイが設置されていた。画面が切り替わるのを信号待ちの間ボーっと眺めていると、どうやら星座占いを流しているようだった。 魚座が写ったとき、「計画通りに事が進むと、自信が回復します」といった内容が書いてあって、そりゃそう……と反射的に思ってしまった。けれど、「いや、そうとも限らないのか?」と考える。 「今日これがしたい」「やり切ってしまいたい」と思案していたことが、その通りに進む。達成感でゴキゲンになり、「やればできるじゃん、わたし!」と自信