マイ・ブロークン・マリコを見て。
昨日深夜に「マイ・ブロークン・マリコ」を見た。
本当は映画館で見に行くはずだったけど、忙しくて公開期間を逃し、嘆いていたところ爆速でAmazon Primeに追加され、早速休日に見た。
この映画を見て感じたことを書いていこうと思う。
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この映画の印象は、なんなんだこの世界。だった。
例えば、DVの父&彼氏、中学生でタバコを吸うシイちゃん、ブラック企業、自殺。この物語の全てがめちゃくちゃで、苦しくて、地獄そのものの日常。
でも、これは現実世界と同じでもある。そう気付いた時、良くも悪くもこれが“映画”だという認識がなくなった。
自分がその映画の中にいるかのような気がしたし、シイちゃんとマリコが日本のどこかにいるような気もした。
シイちゃんとマリコ。2人とも家庭環境が良くなく、特にマリコの日々は見ていて苦しく、ああこういう子が現実にもいるだろうなと思わされた。
大人が子どもにもたらす影響は大きい。悪い大人の存在は、子どもの心を蝕んでいく。大人と子ども、そして子どもと子どもが、お互いに依存し合わないと生きていけない世界になる。
子ども時代のシイちゃんとマリコは、相手がいないと自分が存在する意味がないというくらい、お互いを必要としている。
だからこそシイちゃんはマリコを恐怖から守るし、マリコはシイちゃんを脅してまで側にいてとせがむ。
マリコならシイちゃんがどこにも行くはずないことくらい分かってるはずなのに、分かり合ってるはずなのに、なんでそこまでしてシイちゃんを脅すの?と思ったけど、マリコの周囲がそうさせたんだと思う。
マリコの母は姿を消したし、父とマリコの彼氏は脅すことでしか娘をそばに置けない。そんな姿を見ているから、まりこはシイちゃんを側に居させるためには、脅すことしか方法が思いつかなかったのかも。
シイちゃんはポーカーフェイスで感情が読み取れない。でも心の中では誰よりもマリコを好きでいるし、マリコを必要としている。
声を荒げ、感情を露わにする父や彼氏と違って、シイちゃんの感情が態度から読み取れないから、マリコはどんどん不安になっていったんだと思う。
だから、マリコはシイちゃんが取り乱した姿を見ると安心するのかもしれない。シイちゃんが自分を必死に守ってくれるのを見ると嬉しくなるっていうセリフがそれを表してるようにも思える。
シイちゃんは自分の気持ちがマリコに伝わらないのがすごくもどかしかったと思うし、自分を置いて死んだことにもやりきれなかったと思う。
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シイちゃんとマリコの遺骨の旅では、子どもの頃のマリコや、大人になったマリコがシイちゃんと一緒にいるような描写が印象的だった。
まるで本当に2人で旅をしているかのようで。
いや、マリコは本当にそこに居たと思う。
2人分のお昼ご飯を食べた後の箸の置き方が、片方はお椀に突っ込んでいて、もう片方は綺麗に揃えてお椀に置かれていた。
多分、お椀に突っ込んだ箸がシイちゃんで、綺麗に揃えてあるのがマリコだろうなぁと思いながら、1人で来ているはずなのに、無意識にシイちゃんがそんな風な箸の置き方をしたなら、シイちゃんの心には確かにマリコがいるんだろうな。
遺骨をカバンに入れたりせず、ずっと抱えて歩くシイちゃんも、シイちゃんらしくて良かった。
普通は遺骨を持ち歩いてる人を見かけると、周囲の人は不思議そうな目で見るかもしれない。でも映画の中ではその描写がなかった。
これは他人への興味のなさ、人間関係の希薄化という寂しい現代の様子を映し出しているようにも思えたり。
でもマキオは違った。シイちゃんの様子を察したし、遺骨も守ってくれたし、いろんな場面で助けてくれた。
マキオも自殺しようとした過去があったからこそ、そういった人の痛みやSOSには敏感なのかもしれない。
飲み屋にいたおじさんたちみたいに、下心があるわけでもなく、損得勘定でもなく、ただ、シイちゃんに自分を大切にしてということを伝えてていた。
根掘り葉掘りシイちゃんに話を聞いたり、道案内をしたりするのではなく、あくまでもお金を渡してそれで終わり。シイちゃんとマリコの2人の時間を奪わないマキオの存在は心地良かったな。
シイちゃんにとってマキオはどんな存在だったんだろう?ただの優しい通りすがりの人?電車のホームまで見送りに来たマキオにも、別れを惜しむ様子はなかったし。
シイちゃんはマリコのことしか考えられなかったからこそ、マキオに対してはあまり執着しなかったのかな。それでもやっぱり、シイちゃんの蝕まれた心には、マキオのような優しさが必要だったと思う。
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この映画を見ていて、映画を見ているというより、本当にこの世にシイちゃんとマリコが存在して、2人の旅を側から見ているという感覚だった。
それほど演技や描写にリアルさがあったし、シイちゃんの視点で描かれているからこそ、シイちゃんに感情移入もできた。
でも、シイちゃんとマリコの間には絶対他人が入る隙はないし、最後の手紙のシーンも何て描かれているのか伝えられなかった。
見ている側としては手紙の内容が気になったけど、しばらく時間が経ってから、あの手紙を読む資格はシイちゃんにしかないなと感じた。
マリコを傷つける存在、マリコに関わりのない存在が、気安くマリコの気持ちを理解しようとするなというシイちゃんの声が聞こえてきそう。
マリコが死んだ理由は私には分からないし、手紙にマリコがなんて書くかも想像つかない。
でもそれでいいのかもと思った。シイちゃんだけが分かっていれば、マリコは救われる。
そういう意味でもこれは映画はこうあるべきという固定概念を崩しにきていると思うし、映画の総時間も1時間25分で通常の映画より短めだった。
重い内容だけど、だらだらと続くんじゃなくて、無駄な描写や間がなかったなと思う。
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「マイ・ブロークン・マリコ」を見て、いつもは映画を見た後その余韻に浸ったり、魔法が解けたような感じがするんだけど、今回は違った。
うまく説明できないけど、本当にこの映画が実話で、日常の一部の出来事として存在しているように思えた。映画特有の非日常感を味わうのではなく、確実な日常を味わった感覚だった。
亡くなった人の記憶が薄れていくのが怖かったり、大切な人が突然姿を消してしまったり。
そういうのって日常でもあるし、それが辛く苦しいものでもあるから、シイちゃんが感情のままに泣き出すシーンは、共感でしかなかったな。
でも最後のマキオが言ったように、”自分を大切に“っていうメッセージは、このおかしな現実世界を生きていく中で何よりも大切なことで、でもみんなが忘れがちなことだと思う。
苦しい状況にこそ自分を大切にして、すれ違う人に興味が薄れている世の中だからこそ、声をあげて自分に気づいてもらえて、周りに助けを求めることが大事なのかもしれない。
シイちゃんが女子高生を救えたように。
自分も周りの人をしっかり見て、誰かを救えるようになりたいな。
そんなことを感じた映画でした。
おすすめです。