「青春の瞬き」を聴いて思う
この世界には絶対的な正義や美しさがある。そしてそれらを「美しい」と疑わないでいられるのが子供だと思う。そこには大人が作った不思議や神秘がたくさんあるけれど、きっとそれすらも正しく綺麗であると思っている。
そういう意味で「美しい世界」を見ていられるのが子供時代なのかもしれない。単なる年齢の話ではない。小学生だって「この世界は醜い」と気付いたなら、それはもう子供時代の終わりが来たということじゃないだろうか。美しく見えていた不思議と神秘のヴェールは剥がれ、淡色の夢が脆くも崩れ去り、現実がまざまざとやってくる。
流星群がたくさん降った翌朝、天体観測の道具を片付ける。静寂と破滅の夜は去った。凍えながら見るなんの曇りもない朝日。私とあの子しかいない世界が終わったようで安心すると同時に、美しい世界にいられないことに寂しさを覚える。隣にいて自動販売機のあたたかいコーヒーを買ったあの子は急に大人びて「始発って何時かな」と気だるそうに呟く。朝日に炙り出された横顔は、美しかった夜の話をもっとしたい私をさっさと置いていった。
肩にのしかかる機材の重みのせいで、踏み出す足が地中に埋もれそうだ。ずっと空ばかり見ていたから、重力のことなんてすっかり忘れていたのだと思う。
「私ほんとうはね、あの流れ星が地球に落ちて、世界が滅んでしまえばいいって少しだけ思ったの」
言わなかった。言わなかった言葉がずっと喉にはりついていたので、それをさっき買ったあたたかいレモンティーで飲み干した。
30分に1本の電車で知らない街に行くことをこっそり夢見ていた私たちの、夢の終わり。私たちの青春の瞬き。