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裏切られて尚、信じるということ

映画「星の子」のインタビューで芦田愛菜さんが「信じる」ということについて話されていた。

「この作品を見て私が一番強く感じたことは、信じるって何だろうということでした。その人のことを信じようという言葉をよく使うと思うのですが、それってどういう意味なんだろうと考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、自分の思う理想像を期待してしまっているのではないかと感じました。だから、『期待していたのに』とか『裏切られた』というような言葉が出てきてしまう。でも、普段見えなかった側面が見えただけで、裏切られたわけではないのかなと思います。知らなかった側面が見えたときに、それもその人なんだって受け止めて決断できる揺るがない自分がいる。それが信じるっていうことなんだと思いました」
「でも、どうしても揺らいでしまうと思うので、だからこそ人は『信じる』って声に出して言うことで、例えば成功した自分や理想とする相手にすがりたいんじゃないかなって思いました」
引用:映画.com 星の子インタビュー

映画が公開された当初、このインタビューを読んで、16歳でこの考えは凄いなと尊敬しました。
それから、私自身も「信じる」ということについて、着地はしなかったものの、裏切られたときの悲しみと怒りをコントロールできたらいいなと思っていた。

今日、信頼していた先輩から小さな、ごく小さな裏切りを受けた。
信じた私が馬鹿だった。
信用に足らない人だった。
残念な人だな、もう信じない。

そう思った。
大きな怒りや悲しみは無かったものの、先輩に対する軽蔑にも似た「私の事を擬似家族のように思って良くしてくれるのなら、こういった裏切りは止めてもらえませんか」という言葉を投げつけたくなった。

そこで、上記の芦田愛菜さんのインタビューを思い出したのだった。

「知らなかった側面が見えたときに、それもその人なんだって受け止めて決断できる揺るがない自分が」いない。
いないよ……
この気持はどうしたら良いのか。

仕事場での先輩なので、付き合いをそこまで深くしなければいい話なのだけど、親しくしてもらっていて嬉しかった自分がいる。

本を読んで、時間が過ぎるのを待つのが良い気がする。
アクションは起こさないほうがいい。
時間は一番の癒やしとなる。

「信じる」時に相手に期待せず、自分ベースで考えること。
期待をしないことが、相手を「信じる」ことになる。

自分の中の激情をコントロールして、且つ納得できたらいいんだけどなぁ。
少し時間がかかりそうです。


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