呪いその壱
こうやってつらつらと書き連ねているのは、浄化する、または何が起こったかを整理する、という意味も兼ねてなのだが
恐ろしいことに、「時系列があってないと落ち着かない」という厄介な症状も持ち合わせている為、今まで何冊ものノートを破り捨てゴミにしてきたかわからない。
なので、高校生になる頃には、その頃には結構な金額だったルーズリーフを一冊、それから付箋をノートがわりに持ち歩いていた。
おかげでノートのページを狂ったように引き破る(それが例え授業中であっても)癖は無くなったので、発明品様様である。
…授業中に狂った様にノート破くのも…側からみれば奇行だ…
マーカーか赤線で教科書に書き込むくらいなら、一度書いた方が頭に入る方だったので、これが良かったらしく私の成績は良かった。(それが更に姉には癪に触ったらしく、教科書をゴミ箱に入れられるという暴挙にでられる)
ノートやレポートの提出になった場合は、ルーズリーフの部分だけをコピーして提出していた。
どんなに提出を求められても絶対にコピーだった。
書き写して渡したこともある。
私の提出したものは実際何度も紛失に遭っている。今でなら大問題な話で、ニュースに上がってもおかしくないくらい。
盗難・窃盗、丸パクリに遭っているからで、絶対な証拠がいるからだった。
そもそも教師を信用してなかった私は、「教師に紛失されては困る」その一心だった。
これが、大学生に上がるとノートをかして写させて、という話になるわけだが、これも陰口を叩かれるくらいに貸さなかった。
病欠のクラスメイトには無償でコピーして渡した(そもそも実技が多い学科だったのでノートは少なかった)が、自己都合で休講した者にノートを貸すほど私はお人好しではなかった。
ノートは帰ってこない、と既に誰も信用してなかったからである。
日本で財布を落とす戻ってくる、とよく言われるが、大学内ではほぼほぼ帰ってこないと思った方がいい。それくらい民度は低かった。
カウンセリング中、この話をしたら、「呪い」だと言われた。
時系列順に書かないと落ち着かないのは、私が家庭や酷くいじめられた小学校時代の呪いだと。とかく時系列にこだわらせて苦しめられた記憶はある。
無駄な過程に時間を取られて、授業に身が入らず、父親に頼んで予備校にこっそり通って居たのもこの辺りからだ。
予備校の先生は、小学生ながらも深夜まで通ってくる私に驚いた様だが、向き合って教えてくれた。変わった子だなとは思われていたと思うけれど、このあたりの勉強や授業に苦しまなかったのは感謝しかない。
私は、今でも「呪い」でがんじがらめになっているという。
表向き、良い人の様な顔で、心が縛られて歪んでいるという。
おとぎ話のように「呪い」が溶けるのは、やはりおとぎ話だからであって、実際はそうはいかない。それが現実なのだ。