神へ祈る舞いがぼくの常識をぶち壊してしまった
面を被った翁が開いた幕をくぐって舞台に立った。
ぼく床に胡坐をかいてそれを見ていた。
足元から頭へと視線があがる。
視線を上げ終わった瞬間、ぼくの背中に稲妻が走った。
日本の伝統芸能にあまり興味を持ったことはなかった。
子どものころ、地域のお祭りに出てお囃子をやったり、和太鼓演奏のかっこよさにあこがれたことはある。
けれど、ぼくは基本的に日本の伝統芸能というものに特別な思い入れがあったことはなかった。
歌舞伎や狂言は何を言っているかよくわからないし、舞いもなんだかゆっくりでカッコよくない。
雅楽や民謡もいまいち盛り上がりに欠けて地味だ。
それより、J-POPとかジャズとか、踊りもタップダンスとかブレイクダンスとか、西洋由来のものの方がよっぽどかっこいい。
そう思っていた。
あるとき、たまたま東北の神楽を見る機会があった。
震災後、数年が経過した海岸沿いを見て回るツアーがあって、最終日のオプションで見たい人がいたらどうぞ、みたいか感じだった。
とりたてて見たいと思ったわけでもなく、「せっかく来たんだし、ここでしか見られないものなら見てみようかな」と、ご当地グルメを味わうような感覚だ。
特に何を期待していたわけでもなく、単に視力がそんなに良くないので舞台からはかなり近い場所に座った。
始まってすぐに、すっと幕をくぐった演者にぼくは魅了されてしまった。
アクロバティックな舞いをするでもなく、息をのむようなドラマが繰り広げられているわけではない。
面をつけて、衣装をまとい、ただ立っているだけなのだ。
ただ立っているだけのその姿に背中がどうしようもなく粟立ち、猫背気味だった背筋を思わず伸ばしてしまう。
扇を繰る手、床を踏み鳴らす足。
決して派手でも、華やかでもない。
それなのに、どうしてかその一挙手一投足に目も心も離れない。
こんな体験は初めてだった。
その神楽はかれこれ五百年以上続いていて、その演者は何十年も携わっている六十歳を過ぎた一番のベテランだという。
ぼくは「芸能」というものはエンターテインメントだと思っていた。
より新しいもの、より派手で、より刺激的なもの。
歳のいった動きの鈍くなった者より、動きにキレのある若い者が舞台を縦横無尽に舞い踊り、涙あり笑いあり、時にはどんでん返しのある重厚なストーリー。
音楽も舞台を演出し、見ているものを舞台の世界に引きずり込む情動的なもの。
見ているものをあの手この手で楽しませるものが芸能なのだと思っていた。
でもその神楽はぼくがこれまで見て、楽しんで心奪われたものとは一切が違う。
お囃子は二つ三つの少ない楽器で一定のリズムで流れ、演者も派手に動き回るでもなくゆったりと体を動かしていく。
ストーリー云々というより、舞いそのものが延命長寿のお祈りなのだとか。
そのようなものが舞台の上で繰り広げられていようとは!
しかも五百年間同じものが続いているだなんて!
そもそも神楽というのは、見ている人を楽しませることが目的なのではなく、日々の平穏や豊かな実りを神様へお祈りするためのもの。つまり、神様への捧げものなのだ。
ぼくの「芸能はエンターテインメント」という常識は一瞬にして覆されてしまった。
演者が被る面は、ただ装飾のために被っているのではなく、自分という人間から神への舞い手と変化させるための媒体であったり。
演者の動作一つ一つは、地に種を植えるであったり、雨乞いのしぐさであったり。
だからこそ演者はただ決められた通りに身体を動かすのではなく、神への舞い手となり、その動きの意味に則って一挙手一投足に魂を込めるのだそうだ。
ただ立っているときも「神の舞い手としてまっすぐに立つ」という動作をしている。
そしてその精神が何百年も受け継がれてきている。
ああ、そうか。だからただ立っているだけの姿にもこんなに心を奪われてしまうんだ。
人のためではなく、神様のために作られ、そして続いてきた。
確かに新しくて刺激的なエンタメ芸能も面白いけれど、この重厚や深さが出ることはない。
それはそうだ。最近はやりの大衆芸能は、せいぜい続いて数年。何百年と脈々受け継がれてきたものという歴史には足元にも及ばない。
ぼくが古臭くてつまらないと思っていた日本の伝統芸能がこんなにも深いものだったとは!
そのほか、神楽の面は「陽」を表していて、能楽の面は「陰」の意味を持つ、だとか。
震災で神楽面が流されてしまい、能面を作る人にお願いして作ってもらったらどうしても「陽」の感覚が面に表れなかった、とか。
なんだか、その芸能にまつわるあれこれにも様々なものがあることにも気が付いてしまい、都会に戻ってからも、歌舞伎を見に行ったり、能楽を見に行ったり、雅楽を聞きに行ったりと、東北で神楽を見たことをきっかけにすっかり日本の伝統芸能にはまってしまった。
ただ派手だとか、激しいものだとか。わかりやすいエンタメも確かに面白い。
決してわかりやすくないし、単純に楽しいというものとは少し違う。
しかしながら、「侘び寂び」や「もののあわれ」だとか、古くから今も伝わる伝統芸能には日本に特有の美意識を宿している。
そして現代に伝わってきただけの厚みがある。
知れば知るほど、またさらに知りたいと思うものが出てくる。
伝統芸能というものは、深い。
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