僕はエリートにはなれない
「真面目だね」
「努力家だね」
僕は小さい頃から、周りからいい子だと言われて育ってきた。
こどもちゃれんじや公文のおかげで小学校の勉強は余裕。
怒られるのが嫌いだったので目立った悪さもせず、
先生の言うことをよく聞くいい子だった。
そういう子を大人たちは好きだ。
先生や周りの親達から
「いい子だ」「優秀だ」「模範児だ」ともてはやされた。
言わばエリート気質というのだろうか?
「自分は真面目でいい子でエリートでなきゃいけないんだ」
心のどこかでそういう思いがあったのかもしれない。
そこそこの中高一貫の進学校に合格、入学した僕は、
勉強で周りと競争する環境に身を置いた。
勿論学校中が成績や進学先をステータスとして見ていた。
東大や東工大に入る奴は正義みたいな学歴思考、
成績の悪い奴や上位大学以外を小馬鹿にする風潮ははっきり言ってあった。
努力家である僕は勿論日々コツコツ勉強はするのだが、
頑張っても中の上、良くて上の下が関の山だった。
学年250人から選抜クラス40人を抜いた一般クラスで40位くらい。
40人クラスで5~8位くらいにいたので決して悪くはないのだが、
いくら頑張っても全く叶わない奴らは相当数いた。
エリートには及ばなかったというわけだ。
それでも真面目ではあったから、先生には気に入られた。
「お前のような真面目なやつはいつか伸びるよ」と言われ続けた。
しかし目立った飛躍はなく、高2の進路に大きく関わるクラス分けでは
ギリギリで国立クラスに入れなかった。
では私立クラスではトップだったかというとそうではなく、
科目を絞って芽が出た周りに翻弄され、完全にうだつが上がらなくなった。
それでも真面目で意気込みだけは一丁前だったので、
相変わらず先生達には気に入られていた。
それから目の色を変えて大学受験に向けて勉強に没頭して、
かなり成績は上がったのだが、行きたかった大学には届かなかった。
とはいえ進学先はそこそこのレベルはある国公立大学。
後期日程で入ったわけだしそこそこエリートではいられるはずだと思った。
ところが大学に入ると、僕を取り巻く周りの環境は一変した。
高校までは、努力をして悪さをせず言うことを聞けば褒められたし、
日々の勉強さえ真面目にしていれば、周りからも認めてもらえた。
アイツは真面目だから、みたいに半ば丁寧に扱われたりもした。
だが今までの蓄積がリセットされた大学の勉強では成績は人並み。
順位どころか得点すら公開されないので、
自分がどの位置にいて誰が上にいるのかも分からなくなった。
しかも周りはただ単位を取るための最低限の勉強をするという感じだった。
勉強はもはやステータスを争う指標とはなりえなかった。
サークルでも真面目ないい子というよりは、
プライドが高いただの男子校上がりのコミュ障メガネ。
丁寧どころか最も雑な扱いを受けた。
始めたアルバイトでも誰よりも仕事ができず怒られ続けた。
言うことは聞いてるし悪さもしていないし努力もしてるのに。
こういう状況の自己肯定感の崩壊は見事なものだった。
自分は正しくないといけないのに
周りから褒められるエリートじゃないといけないのに
どんどんエリートから遠ざかっていく。
むしろ気づいたら自分はどちらかと言ったら落ちこぼれだ。
そう思った時にふと気づいたのだ。
あ、エリート無理だ。
人の価値はステータスや真面目さだけでは測れない。
人の言うことを聞いて大人しくしていればいいわけではない。
そんな当たり前のことに気づくのに、
エリート思考から醒めるのにずいぶん長く時間がかかった。
この話を聞いて、呆れてしまっただろうか。
だが、皆さんは本当に醒めているだろうか。
人の言うことを聞いてるだけの奴はダメだ。
真面目なやつがバカを見る。
最近の若者は大人しすぎる。
僕と似たような境遇で育ってきた真面目な人で、
社会に出てこんな言葉に苦しめられている人は多くないだろうか。
さらに、
一流大学を出てないとクソ
大手の有名企業から内定をもらうのが正義
人の価値は年収で決まる
出世していい役職につくのが男の道
このような価値観は、依然として社会に根強く残っていないか?
そして多くの人達が、エリートを目指していないか?
勿論、一流大学に受かるのも有名企業に内定をもらうのも
年収が高いのも出世するのも凄いし素晴らしいことだ。
だが、はっきり言おう。上には上がいる。
世の中は広い。
社会に出たら競争倍率はさらに上がる。
ステータスを他人と比べたら、自分は誰かの下位互換になってしまう。
エリートになって、ちやほやされるのを目指し努力して、
どれくらいの人が本当に幸せになれるだろうか?
僕は先程述べた通り、エリートになることは諦めた。
だから、大手企業で出世を重ねて昇給していくという
キャリアプランは持たなかった。
上には上がいるし、時代的にポストは減っていく。
その中で自分がトップまで上り詰めるのは不可能だと悟った。
だがその代わり、何者かになってやろうと決めた。
「組織の想いを支援する」という人生のコンパスを持って、
ありとあらゆる手段でそのWillを叶えてやろうと決めた。
生憎努力と真面目さだけは取り柄だから、
自分で走るコースを作って疾走してやろうと思う。
比べる相手すらいないコースだから、ステータスやエリートにはならない。
周りからはちやほやどころか、理解もされないかもしれない。
でも何かでぶっちぎって大物になれば、
それこそエリートすら飛び越えられると信じている。
人と比べるのではなく、人と違うアプローチで突き抜ける。
優れるな、異なれ だ。
エリートにはならない。代わりに何者かになる。